これを後半かどこかで言わせてみて、
自然かをチェックしてみよう。
物語とは変化である。
経験、冒険によって、
人生観や認識が変わるさまを描く。
もちろん、何かに影響をうけて、
何かが変わってもよい。
いずれにせよ、どうにかして変化したか、
をチェックするために、
「あんた、変わったね」と、
粋な人が言ってみるとわかるわけだ。
十分な変化をしていれば、
「そうかね?」
「自分じゃ気づかないかもしれないがね。雰囲気から何から別人だね」
なんて会話になるだろう。
もちろん、わるい変化もあろう。
最終的によく変化するにしても、
途中でいったん悪くなるときに、
「あんた、変わったね」と言っても不自然でなければ、
結構変わっていると思う。
すっかり変っちまって、
田舎にいたころのアンタはそうじゃなかった、
なんて嘆きも描けるかもね。
外に見える変化をしていなかったとしても、
「あんた、変わったね」というおばさん?は、
「目が変わった」などというはずだ。
まなざしとか、姿勢とか、生き方とか、
そういうものが変わったら、
久しぶりに会った人はわかるかも知れないね。
グッと良くなった、
となるのが最終的に望まれる変化だろう。
その変化の価値が、
物語のテーマ、価値になっていくはずだ。
「泣き虫が強くなった」でもいいし、
「自信があふれるようになった」でもいいし、
「女が抱かれたいと思うようになった」でもいいし、
「理知的になった」でもいいし、
「大人になった」でもいいだろう。
なんでもいいから、
雰囲気が良い方向に変わったかどうかは、
このセリフをぶつけてみるとわかる。
もし変化していなかったら、
「ううん、どこが?」ってなってしまうだろうね。
本編のどこに挿入してもいいが、
まあ後半だろうか。
最終的に変化したかどうかを知りたければ、
ラストシーンが終わって、
酒場に主人公がやってきたシーンを想定して、
久しぶりにあったスナックのママに、
「あんた変わったね」といわせてみればいい。
「ああ、〇〇になった」と何かしら答えられれば、
それはいい変化をしている、
ということだ。
あなたの主人公はどう変わったか?
そもそも、変化しているのか?
全編通じて、アイデンティティが一度も影響を受けていないのなら、
たいした冒険をしていないということになる。
平常心で暮らしてきただけだからね。
逆にいうと、
物語というのは、
平常心でいられないほどの大冒険をして、
アイデンティティクライシスがあって、
それを抜けること、だと言えよう。
2024年07月19日
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