2024年06月11日

物語は点ではない、線であるとよく僕はいう

にもかかわらず、点で捉える素人はあとをたたない。


Twitterから。
> こうして見てると 今必要なドラマって 原作改変しちゃった セクシー田中さんみたいな イチャコラキュンドラマより 「スチュワーデス物語」みたいな ビシバシキリリ(`・ω・´)ゞもの のほうが当たるんじゃねぇかな

セクシー田中さんのドラマが、
イチャコラキュンドラマと言われてしまうのならば、
ドラマが失敗したか、
この人の認識が間違ってるのかのどちらかだ。

あるいは見てもなくて、
イメージで言ってる可能性もある。

だが少なくともスチュワーデス物語を、
ビシバシキリリというのは、
もはや見てないレベルだぞ。

全然ダメな堀ちえみが羽ばたこうとする、
「みにくいアヒルの子」ものだぞ。

ビシバシキリリというのは、
オープニングの記憶なんじゃなかろうか。



そうそう、
オープニングというのは、
線である物語を、
どう点で表現するか、
という匠でもあるのよね。

ドラマ風魔の場合は、
「これは風魔対夜叉ですよ」
という「対決構図」に絞って表現してるのよね。

もしドラマ風魔を「どんな話を?」と思い出すなら、
「9対10」の対決ものという構図が出てくる。


ビシバシキリリなんてたかが1秒で表現できるものを、
4クールもあるドラマでやるわけないのに、
そう思ってしまうというのは、
いかに我々の記憶が、
線を点に圧縮しがちか、ということの証拠でもある。


物語を扱うものは、
せめて点のようなIQの低い認識ではなく、
線を線のまま扱えるだけの、
IQを備えててほしいものだ。

日テレPはそれに届いてなかったけどね。
posted by おおおかとしひこ at 22:21| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

この記事へのトラックバック