2024年07月20日

変だから愛される

完璧でないと愛されない、
という強迫観念を持っている人は多い。

均整で、すらりとして、スマートでなければ、
愛される資格がないと。
この、歪で、不細工で、うまく行ってないのが、
愛されるわけではないと。

そうではないことに気づかれたい。
愛されるものは、大抵変なものである。


あなたが愛しているものを列挙したまえ。
整って完璧なものか?
ヘンテコなものか?

食べ物、飲み物、人、場所、ネタ、
音楽、物語、その他作品。

同様に、好きなものを列挙したまえ。

好きなものには、
整ってるものも多いかもしれない。
でも、
愛するものには、それを突き抜けて、
ヘンテコなものが多いと思う。


整ったものは好かれる。
悪いよりマシだからだ。
ただ、「悪くない」どまりになるだろう。

整ったものに囲まれることは、
生活が豊かになることである。
ぐちゃぐちゃよりいいからね。

だけど、それで100%満足するかというと、
全然違うんだよな。

心底愛するものは、
大抵ヘンテコな、
他人には価値のわからないものが多い。

なんなら、
「私しかその価値をわかってないもの」
の方が多いかもしれない。


だから、布教したくなる。

愛とは布教の原動力だ。


整ってるものをわざわざ布教しない。
誰でもわかるからね。
わざわざ自分が布教しなくても、
見ればわかるし。

それは熱が一段低い。
愛されるものは、
「私こそが理解してなければ、
世間の理解者が増えない」と、
必死になるものだ。

なんなら「見つけてほしくない」まである。
布教したい気持ちの逆だね。
愛は両極端に人を走らせる。


つまり、愛とは一種の狂いなのだ。
熱狂である。

そこまで行くのは、
ただ整ってるだけじゃだめで、
さらに変である必要がある。

天才と秀才の違いかもしれない。
優等生は満遍なく好かれるかもしれないが、
うっすら好かれているだけである。
ほんとに愛されるのは天才のほうだ。


あなたの作品は完璧ではない。
あなたが完璧ではないようにだ。

だから満遍なく好かれることはない。
あなたがイケメンや美人ではないからね。

それよりも、ヘンテコで愛されるか?
を考えるべきだ。
愛される偏屈、愛されるひずみ、
愛されるめちゃくちゃ、愛される間抜け、
愛される突き抜け。

整ってないから、うっかり他人には勧めないが、
ともすると親友には絶対勧めるみたいな感じ。

それは、受け取る人も、
与える人も、整ってなくて歪んでいるからだ。


あなた一人が歪んでて、
受け取る人全員が整っているのではない。

あなたも、受け取る人も、みんな歪んでいる。

受け取る人の中に整ってる人はいるが、
そんなには多くない。
多くても3割だな。


作品が整っていることはある程度重要だ。
まず好かれる集団に入らないと、
注目もされない。
身なりを整えるくらいの感覚でよく、
過度に初めての合コンみたいな服さえ着なければ良い。
無難に整ってれば関門通過だ。

その先に愛されるかどうかは、
歪んでいるかどうかできまる。

ヘンテコで、偏って、不恰好で、
だけどどうしても愛してしまうポイントが、
どこかにあると、
愛される。


自分が愛されたことのない人が、
愛される作品をつくれないかは、
僕にはわからない。
愛された経験があれば愛される作品を必ず作れるかも、
僕にはわからない。

ただし、愛されることをたくさん観察して、
愛される作品をつくることは、
できると思う。

なぜこのキャラクターを愛するのか?
なぜこのシチュエーションを愛するのか?
なぜこのストーリーを愛するのか?
なぜこのセリフを愛するのか?
なぜこのテーマを愛するのか?

完璧で、整ってるからではない。

歪で、完璧ではなく、均整ではないが、
突出して、変で、心にガッチリはまるからだ。


あとは、
「ここにしかない変」であることが必要だ。

それを、オリジナリティというんだな。


オリジナリティとは、
完璧とは真逆の概念だ。

「完璧なオリジナリティ」というのがもしあるなら、
全項目100点を取った形ではなく、
何かが1万点で何かが0点になってるものをいう。
それは完璧という概念から遠ざかる。
だから完璧なオリジナリティというのはない。
(背理法)

オリジナリティとは、
常に不完全から現れる。
不完全こそが愛される。

凸凹してるから、凸凹してる人々にぴたりとハマる。

万人にとって抵抗のないものは平面だけど、
平面と凸凹の間には必ず隙間が出る。
凸凹にとって最高なのは、凹凸の形でぴたりとハマるものだ。

それを古来から破れ鍋に綴じ蓋といったわけだ。



あなたの作品は劣っていて愛されないのか?
あなたの作品は尖ってて愛されるのか?

見極めが難しい。
だけど、
尖ってるところを丸くしたら、
そのぶん整っただけの無難になり、
好かれるかも知れないが愛されなくなることだけは、
確実だ。

アクもダシだ。
芸術というのは、
アクがダシになってるもの、
と定義してもいいかもしれない。


イケメンや美女はモテるけど、
好かれてるだけである。
彼らが本当に愛されてるわけではない。
都合のいいように使われているだけだ。
そして後世には残らない。
残るのは、強烈に変で、愛されるものだけだ。

あなたは整って好かれたいのか?
強烈に愛されたいのか?

今自分の作品はどっちだ?
客観的に鏡を見ることは、なかなかに難しい。

「嫌われたくない」
「愛されたいから媚びてる」というのは、
現実と同じで、
案外伝わってしまう。

愛される人というのは、
誰でも隣に座っていいよ、
と手を広げている人だ。
posted by おおおかとしひこ at 04:47| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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