2024年06月13日

企画とは一枚絵である

極論、バカに合わせるとこうなる。


物語は線である。

覆されるべき前提があり、
それを行動で変えてゆく。

その起伏こそが線である。
ストーリーライン、キャラクターアーク、
展開、どんでん返し、伏線、
ヒーローズジャーニーなど、
ストーリーの専門用語には、
線である言葉がたくさん出てくる。


だけど殆どの人は、
線を線として捉えきれず、
点として記憶する。

そして線を、見てた時は理解してたんだけど、
点として理解する。これにはかなりの誤解を含む。

スチュワーデス物語をビシバシキリリと、
誤った認識で捉えてしまうし、
どうせ日テレのPは、
「セクシー田中さん」という漫画を、
「昼間は地味OL、しかし夜は超セクシーダンサー?!」
という一枚絵でしか捉えていなかっただろう。

その証拠はドラマの番宣用ポスターを見ればわかる。
セクシーダンサーの田中さんがオフィスの机でポーズを決めてて、
朱里がそれに驚いている格好だ。

原作を知ってれば、
「浅すぎる理解」であることは明白だ。
原作は変身ヒーロー田中さんの話ではないからだ。

せめて、
朱里も田中さんも、セクシー衣装でオフィスで踊ってたほうが良かった。
(お堅い上司や合コン美魔女たちや笙野が驚き、
クズの進吾が驚いて、
マスターの三好がスポットライトを当ててればよかったろう)


一枚絵とは、
コンセプトのことである。

この話はこういう感じの話です、
そしてこういう感じの面白さを用意しています、
というものであるべきだ。

そしてその絵が変わってて新しく、
面白そうな時に、客は寄ってくる。


企画書は、つまりこのコンセプトの一枚絵を描くことを、
目的としたほうがよい。

つまりバカはストーリーを理解できない、
という前提に立つのだ。


どうせストーリーを理解できないのだから、
線であるストーリーを点に、一枚絵に、
記憶させてしまうのだ、
という手法を、確信犯的に使うべきだ。


もちろん、
ストーリーを理解しない無能が、
ただ受けそうな面白い一枚絵だけをつくり、
あとは脚本家に丸振りしてる例もある。

「セクシー田中さん」では、
「地味OLがセクシーダンサーに?!」と、
原作のごく一部だけを切り取って、
しかも偏って切り取って、
「私の受けると思う田中さん」に矮小化したから、
原作者が怒ったわけだ。


一枚絵でよろしく、
とPが物事を進めるのは、
Pが無能だからだけではなく、
出資者や製作委員会が、それ以上を理解しないからでもある。

愚かな人ほど、線を理解することができず、
点しか理解しない。

「セクシー田中さん」を、
「微笑んでモテる努力をしながら、
ずるずると友達以上恋人未満のクズ男と繋がっている朱里が、
自分だけの世界をもってる田中さんと出会い、
自分の居場所を見つける話」
などのようにとらえる能力がない。

だから、
「地味なOLがセクシーダンサーに?!」
までしか受け入れられないのである。

脳のキャパが小さい人を、愚かという。



そして、たぶんこの流れは変わらない。

一枚絵をストーリーだと勘違いしたまま、
大金と権力を持った愚かな人々が、
次の興行はこれでいこう、
スタッフや原作は人気の人だそうで、
という程度でものごとを回転させるのは、
たぶん変わらない。


だとすると、
そうした一枚絵にすればいいのさ。


その一枚絵が、もちろんストーリーの本質を表してる必要はあるよ?
「セクシー田中さん」のような、
誤ったポスターにするべきではない。
だから、
あなたのストーリーを、
どのような一枚絵に落とし込むかは、
真剣にやるべきだ。

そしてそれが、
一枚絵に落とし込めた時、
ようやく企画書に値する資格を得たことになる。


はじめに一枚絵があり、
あとにストーリーがあるのではない。

それでは阿呆が絵だけ書いて、
のちのち脚本家がヒイヒイ言って、
その絵通りのものはできなくて潰れる。

はじめに一枚絵が軽くあり、
そこからストーリーを起こし、
ものすごく面白いのができて、
はじめの一枚絵を凌駕する、
もっとおもしろくてシンプルな絵になったときのみ、
つまりコンセプトがより純化したときのみ、
企画書の一枚絵になりえる。


だけど、バカなPは、
一枚絵だけ考えるのだろう。
だって自分で脚本書かないものね。

だから、自分の書いた一枚絵でビジネスを回して、
それが本質と異なっていても我関せずなのだろう。
責任取れるわけないもの。


あなたはこうならないことだ。

企画書をきちんと書こう。

きちんとした、魅力的で、シンプルな絵になったら、
あなたのストーリーは、
明確で立ったコンセプトを持っているということだ。


そしてあなたの夢中になるストーリーが、
一枚の絵に凍結され、象徴されるということである。

そのように、
煮詰めていこう。



結果はおなじだ。
一枚絵だ。

ただし、原作を理解しない浅い絵と、
深く理解して一つのコンセプトに純化したものとの、
違いになるだけだ。

それを見極めるだけの買い手がいないから、
せっかくできた名作も埋もれてゆく。

プレゼンを通るためだけにそういう絵をつくって、
あとは現場に丸振りする、
虚偽のプレゼンをするハゲタカヤクザたちに、
やられていく。


あなたは、
それを凌駕する、
面白い一枚絵をつくることだ。
posted by おおおかとしひこ at 08:13| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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