極論、バカに合わせるとこうなる。
物語は線である。
覆されるべき前提があり、
それを行動で変えてゆく。
その起伏こそが線である。
ストーリーライン、キャラクターアーク、
展開、どんでん返し、伏線、
ヒーローズジャーニーなど、
ストーリーの専門用語には、
線である言葉がたくさん出てくる。
だけど殆どの人は、
線を線として捉えきれず、
点として記憶する。
そして線を、見てた時は理解してたんだけど、
点として理解する。これにはかなりの誤解を含む。
スチュワーデス物語をビシバシキリリと、
誤った認識で捉えてしまうし、
どうせ日テレのPは、
「セクシー田中さん」という漫画を、
「昼間は地味OL、しかし夜は超セクシーダンサー?!」
という一枚絵でしか捉えていなかっただろう。
その証拠はドラマの番宣用ポスターを見ればわかる。
セクシーダンサーの田中さんがオフィスの机でポーズを決めてて、
朱里がそれに驚いている格好だ。
原作を知ってれば、
「浅すぎる理解」であることは明白だ。
原作は変身ヒーロー田中さんの話ではないからだ。
せめて、
朱里も田中さんも、セクシー衣装でオフィスで踊ってたほうが良かった。
(お堅い上司や合コン美魔女たちや笙野が驚き、
クズの進吾が驚いて、
マスターの三好がスポットライトを当ててればよかったろう)
一枚絵とは、
コンセプトのことである。
この話はこういう感じの話です、
そしてこういう感じの面白さを用意しています、
というものであるべきだ。
そしてその絵が変わってて新しく、
面白そうな時に、客は寄ってくる。
企画書は、つまりこのコンセプトの一枚絵を描くことを、
目的としたほうがよい。
つまりバカはストーリーを理解できない、
という前提に立つのだ。
どうせストーリーを理解できないのだから、
線であるストーリーを点に、一枚絵に、
記憶させてしまうのだ、
という手法を、確信犯的に使うべきだ。
もちろん、
ストーリーを理解しない無能が、
ただ受けそうな面白い一枚絵だけをつくり、
あとは脚本家に丸振りしてる例もある。
「セクシー田中さん」では、
「地味OLがセクシーダンサーに?!」と、
原作のごく一部だけを切り取って、
しかも偏って切り取って、
「私の受けると思う田中さん」に矮小化したから、
原作者が怒ったわけだ。
一枚絵でよろしく、
とPが物事を進めるのは、
Pが無能だからだけではなく、
出資者や製作委員会が、それ以上を理解しないからでもある。
愚かな人ほど、線を理解することができず、
点しか理解しない。
「セクシー田中さん」を、
「微笑んでモテる努力をしながら、
ずるずると友達以上恋人未満のクズ男と繋がっている朱里が、
自分だけの世界をもってる田中さんと出会い、
自分の居場所を見つける話」
などのようにとらえる能力がない。
だから、
「地味なOLがセクシーダンサーに?!」
までしか受け入れられないのである。
脳のキャパが小さい人を、愚かという。
そして、たぶんこの流れは変わらない。
一枚絵をストーリーだと勘違いしたまま、
大金と権力を持った愚かな人々が、
次の興行はこれでいこう、
スタッフや原作は人気の人だそうで、
という程度でものごとを回転させるのは、
たぶん変わらない。
だとすると、
そうした一枚絵にすればいいのさ。
その一枚絵が、もちろんストーリーの本質を表してる必要はあるよ?
「セクシー田中さん」のような、
誤ったポスターにするべきではない。
だから、
あなたのストーリーを、
どのような一枚絵に落とし込むかは、
真剣にやるべきだ。
そしてそれが、
一枚絵に落とし込めた時、
ようやく企画書に値する資格を得たことになる。
はじめに一枚絵があり、
あとにストーリーがあるのではない。
それでは阿呆が絵だけ書いて、
のちのち脚本家がヒイヒイ言って、
その絵通りのものはできなくて潰れる。
はじめに一枚絵が軽くあり、
そこからストーリーを起こし、
ものすごく面白いのができて、
はじめの一枚絵を凌駕する、
もっとおもしろくてシンプルな絵になったときのみ、
つまりコンセプトがより純化したときのみ、
企画書の一枚絵になりえる。
だけど、バカなPは、
一枚絵だけ考えるのだろう。
だって自分で脚本書かないものね。
だから、自分の書いた一枚絵でビジネスを回して、
それが本質と異なっていても我関せずなのだろう。
責任取れるわけないもの。
あなたはこうならないことだ。
企画書をきちんと書こう。
きちんとした、魅力的で、シンプルな絵になったら、
あなたのストーリーは、
明確で立ったコンセプトを持っているということだ。
そしてあなたの夢中になるストーリーが、
一枚の絵に凍結され、象徴されるということである。
そのように、
煮詰めていこう。
結果はおなじだ。
一枚絵だ。
ただし、原作を理解しない浅い絵と、
深く理解して一つのコンセプトに純化したものとの、
違いになるだけだ。
それを見極めるだけの買い手がいないから、
せっかくできた名作も埋もれてゆく。
プレゼンを通るためだけにそういう絵をつくって、
あとは現場に丸振りする、
虚偽のプレゼンをするハゲタカヤクザたちに、
やられていく。
あなたは、
それを凌駕する、
面白い一枚絵をつくることだ。
2024年06月13日
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