はよくある。
その対処法。
なぜ凹むのかを考えよう。
「ずっとこんなイメージで、
とワクワクしてやってきたのに、
いざ書いてみたら、
イメージよりしょぼかった」
ことに凹むのである。
イメージ通りにつくれなかった、
自分の実力のなさに凹むのである。
火の出るようなアツイ話、
号泣するほど心を締め付ける悲しい話、
驚天動地の驚く話を書こうとして、
頑張って書いたにも関わらず、
いざ書き終えて、
イメージという抽象が具体におちると、
急に色褪せて見えてしまう現象。
プロットや妄想は、
古今東西の名作を凌駕するはずの出来だったのに、
実際に文字にしてみたら、
そんなのに全く届いていない、
と落ち込む。
これは、正しい反応である。
もし、
「できた!これは世界一の名作である」
と思っているのなら、
客観性が足りない。
一発で世界的名作が書けるなら、
すぐさまもう5〜6本書きたまえ。
それでも客観的にみて名作ならば、
あなたは世界的作家になれるから、
こんなところを読まなくて良い。
ほとんどの妄想は、
現実に具現化するとしょぼくなる。
なぜから、
「そこまで具体的に想像してない」からである。
小説の中で妄想を膨らませていた場面が、
実写化されるとしょぼくなるのと同じだ。
想像というのは、
全部を想像していないからである。
自分の都合のいいところだけ想像して、
都合の悪いところはまだ想像してないのだ。
まずその、「想像」という現象を知ることだ。
だから、
「想像に足りてない」からといって、
出来上がったものが詰まらないか面白いかは、
どっちかは分からない。
斜め上の方向に面白くできてるかもしれない。
いずれにせよ、客観的に評価しなければならない。
客観的に、というのは、
他の作品と比較して、だ。
あなたの想像と比較して、ではない。
たぶん、産後鬱みたいなことだと思う。
あんなに苦労したのに、
と虚脱状態に陥るのだ。
その状態でまともな判断ができる訳がないよね。
だから客観的になりたまえ、
と言ったとて、なかなか難しいと思う。
もう一つ可能性がある。
あなたはあなたのストーリーに慣れすぎてて、
初見の人の衝撃をもちえていない。
初めてそれに触れる人が、
ものすごい逸脱した尖った話だと感じたとしても、
あなたにはもう日常のことなので、
慣れっこになってしまってて、
ふんと笑える程度や、
まあまあ感動の程度や、
ちょっと驚くかな程度や、
せつないねえと思える程度になっているかもしれない。
だが初見の人は、
大爆笑だったり、
あまりにも感動して立てなくなるほどだったり、
顎が外れるほどの意外性の衝撃を受けたり、
骨身に染みる深い哀しみだったりするかも、
知れないんだよね。
つまり、初見の人になれていない可能性だ。
自分的には大したことがないが、
他の人から見たら最高、
ということはままある。
そうかどうか、
客観的に判断するまでには、
だいぶ時間がかかるだろう。
他人の作品としてそれを見れるくらい、
作品の中から外に出ることは、
なかなかに難しいよね。
もちろん、
全然クソみたいな作品を、
世界最高峰と勘違いしている可能性もある。
どのケースに当てはまるかは、
客観的に本人が判断するかは、
なかなかに難しい。
だから、読み手を選ぶべきなのよね。
これは衝撃的な世界を変える作品である、から、
手癖で作ったクソ手前作品まで、
正しい目を持っている人に読んでもらうべきだ。
忖度なく、「いまここ」を示してくれる人に、
読んでもらうべきだ。
客観性が欲しくて他人に読んでもらうのに、
その人が忖度したり目が歪んでたら、
評価は真実から遠ざかってしまう。
天地が突き抜けるほどよかったのか、
十分よかったのか、
普通なのか、
よくないのか、
思い込みだけのクソなのか。
自分が見えてないときは、
鏡に映った姿を見て、
あれが理想に足りない、
これが違うなどと思って凹んでしまう。
まるで整形を繰り返すモンスターのようだ。
100点の美人じゃないけど、
78点くらい行けてるから、
それでいいんじゃない?
というのも一つのゴールだと思うんだよ。
それを、100じゃないから0に違いない、
と思い込んでしまい、凹むのよね。
30とか20は直すべきだけど、
60以上はOKでいいのではなかろうか。
もちろん、
圧倒的に120点のほうが、
この迷いが起きにくい。
だけど毎回120出せる保証はない。
だから、
作者一人が凹む、
という不思議な現象がおこる。
出来ないだろうけど、
客観的になりな、しか、解決策はないのよね。
客観的になった結果、0ならまあそれはドンマイ。
変なものにすがりつかずに次へ進もう。
2024年07月21日
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