漫画の実写化のとき、
「絵が描いてあるんだから、
そのままカメラで同じ絵を撮ればよいではないか」
なんて乱暴な議論がされることがある。
漫画の絵と、
カメラでのモンタージュを前提にした絵では、
全然違うのよね。
そのいい例が手に入ったので説明してみよう。
相原コージ「Z」の三巻の絵がたまたまTwitterに転がってたので転載。
ゾンビvs薙刀女子高生のアクションである。
なぜこの漫画がそのまま実写にできないか?
順を追って説明する。
1. 縦長のフレームは不可能
いきなり1コマ目、
ゾンビがガバッと立ち上がるカット。
これが実写化不可能である。
なぜなら、実写映画のフレームは、
横1.85:縦1の横長フレームだからだ。
漫画ではフレームの縦横をいじったり、
斜めにしたりすることで、
迫力を出したり余計な情報をカットしたりできる。
ところが実写は、横長フレームが一定である。
カメラが下がったり近づいたり、
レンズを望遠にしたり広角にしたりすることでしか、
対象物を撮影できない。
仮にこのゾンビを、
膝から頭までのフルショットで撮るとしよう。
とすると左右がめちゃくちゃ余る。
なので、迫力に欠ける絵になってしまう。
漫画は、間抜けな左右の空間をカットして、
ゾンビだけにフォーカスしている。
考えられる妥協策は、
迫力のあるアップを中心にして、
立ち上がる動作をパンアップしてフォローする
(全身のディテールは見えない)か、
立ち上がるヒキ→迫力のある顔のアップの、
2カットに割ることだ。
(この場合テンポが遅くなる)
どちらも原作通りではない。
じゃあスマホ撮影みたいに急に左右に黒が入り、
ゾンビを縦型に撮る?
それも実写文法として変よね。
2. イマジナリラインの遵守
実写のカット割に詳しい人ならば、
このページの前半と後半で、
イマジナリライン違反を犯していることがわかるだろう。
具体的には、
1〜3コマ目までは、カメラに対して右側にゾンビ、左側に女子高生。
しかし、
4〜6コマ目では、左側にゾンビ、右側に女子高生だ。
実写映像では、イマジナリラインをカメラが超えてはいけない。
位置関係がわかりにくくなるからだ。
イマジナリラインとは、
この場合ゾンビと女子高生を結ぶ線
(この場合喰いたいという欲と殺したいという欲の、
一直線のアクションライン)である。
前半で結ばれるこの線に対して、
ズブッと刺した瞬間、
カメラはこの線を超えて反対側に移動している。
この時に急に左右の位置関係が反転するため、
巻き戻して確認できない実写では、
「?」と混乱する。
だから実写では、イマジナリライン違反は禁忌である。
ところが、
原作漫画は易々とイマジナリラインを超えて描写している。
なぜか?
「見たいところの絵を見る」に、
漫画は特化できるからだ。
それは、「その絵をどれだけ長いこと眺めてもよく、
なんなら戻る自由もある」という、
「静止画」の特徴である。
動画である実写では、カットの秒数は絶対的に決まっている。
その動作の秒数が決まるからだ。
だが静止画である漫画では、
「好きなように絵を眺めて良い」のだ。
時間を引き延ばせない実写と、
時間を引き延ばせる静止画の違いである。
だから、速い動作であればあるほど、
実写はイマジナリラインを固守して、
混乱を避けるようにカッティングするのだ。
作者の相原コージは、
イマジナリラインを知らずにこのアクションを描いている。
むしろ、描きたい絵をいい角度から描けるように、
カメラをめちゃくちゃに動かしてるわけだ。
それが実写のカット割の法則を破っていたとしても、
これは実写ではないからね。
ちなみに、
なぜ反転したのか?を考察すると、
「効果音が絵より先に来たいか、
あとに来たいか」が関係してる気がする。
前半の、ガバッ、バッ、ビュッは、
絵と同時に効果音があるように描いてある。
(ガバッは絵先行か)
しかし「ズブリ」は、
先に刺さった効果音があり、
その後に刺し終えた絵があるわけ。
つまり、刺さった瞬間は描かれていない。
(「刺さる」さまは静止画では無理で、
動画でしか表現できない。
漫画は事後しか描けない。
厳密には刺さる前、刺さる瞬間、刺さった後の3コマを描けば描けるが、
それではスピード感がなくなるだろう)
これは、「ズブリ」の迫力を出すための工夫だろう。
そのあと、
薙刀を動かす絵を見せておき、
後から「グッグッ」が遅れてくる。
何をしてるんだ?と想像させるためだ。
首切ってる?と想像させるに十分な間だね。
そして次の「ゴンゴン」は、絵と同時だ。
あー、首の骨だなこれ、と想像できる。
つまり、
何故イマジナリラインを破ったか?
という答えは、
「音と絵をずらして迫力を増して、
想像させるため」だ。
もちろん、
漫画家はこんなことを一々考えずに、
カンでやってると思う。
「その方が迫力が出るから」
くらいまでしか答えられないだろうし。
で、
これらのテクニック全てが、
右から左に、上から下に読む形式で、
静止画しか使えず、
イマジナリラインを無視してよく、
フレームの形すら変えられ、
いくらでも1カットを眺めて良い、
漫画形式ならではのもの、
なのだよね。
これらはすべて、
実写にはないものだ。
「漫画の構図をそのまま撮れば映画になる」
なんて言ってる人は、
漫画の絵も、実写の画も、
解像度が低い理解をしてるってわけさ。
それらをまるっと含めて、
「実写演出」なんて思考停止をしてる暇があったら、
もっと理解の解像度をあげるべきだろう。
実写のカット割は、
基本舞台だと思うと良い。
ヒキで一発でいけるなら1カットで良い。
表情とか刃物などのアップが見たければそれらを挟んでいく。
カメラも動けるし、スローなどの効果も使えるし、
刃物やゾンビの目がきらりと光るなど照明効果も使える。
それら全ては、逆に漫画表現にはないものだ。
これらを理解しないで、
「まんまやれば」などと言わないことだ。
じゃあ漫画は実写にならないじゃん。
ならないよ。
だから、翻訳行為がいるんだよ。
それが簡単かどうかを判断するには、
両方の理解の解像度が高くないとできない。
できてない「実写化」は、
両方の解像度が低いのさ。
ちなみに、
脚本だと、
襲い来るゾンビ。
女子高生は薙刀の刃をゾンビの首に刺す。
そのままグッグッと切り、
首を切り落とそうとする。
のように、「おこること」「行動」を書く。
それが原作通りの構図になる
(実写の優位点を活かせないから劣化コピー)か、
実写のカット割を活かした、
ジョンウーみたいなアクションになるか、
ただのへぼい絵になるかは、
監督次第になる。
楽譜と演奏の関係だ。
しかし、
どうなったとしても、
流れが変わってなければ脚本的にはOKだ。
2024年06月16日
この記事へのコメント
コメントを書く
この記事へのトラックバック