2024年07月30日

手数が多い時は、ひとつに減らす

1シーンの中でいくつものイベントをこなさなければならないとする。
あるいは、一つのセリフの中で複数のことを伝えたいとする。
それを減らすには「絶対ないとダメな一つ」を見出すことだ。


なぜ複数あるとだめなのか。
イメージがぼやけて、はっきりしなくなるからだ。

ラーメン屋を例にする。
「ウチはラーメンが売りなんですが、
餃子も売りなんですよ」
となると、
「どっちがうまいの?」となるよね。
まだ、
ラーメン餃子セットで頼めるからいいかもだ。

「ウチはラーメン餃子セットが売りなんですが、
肉野菜定食も売りなんですよ」
となると一気にややこしくなる。

大に小をつけるならまだマシなのだが、
大二つはもうイメージがばらけてしまう。

ラーメン餃子セットというイメージ一つなら、
それで記憶できるが、
ラーメン餃子セットの記憶しかない時に、
「さっき肉野菜炒めの話しましたよね?」
と言われても、記憶に残ってないわけだ。


こんな時は、
どちらかに絞って他を捨てると良い。

どっちも大事なんだようーと泣きつく気持ちはわかる。
だけど、
「どっちかしか生き残れないとしたら、
どっちを残す?」
と自分に問うのだ。


ラーメン屋なんだからラーメン餃子セットを残して、
肉野菜炒めを捨てるべきだ。

ラーメン屋なのに肉野菜炒めがうまいというのは、
面白いので、ラーメン餃子セットを捨てるべきだ。

どちらの考え方も正しいので、
答えはない。

だから「決断せよ」ということを言っている。



さて、仮に肉野菜炒めを捨てたとする。

このとき、元のラーメン餃子セットでは不安だろう。
不安だからニコイチにしたのだろうからね。

だから、
このラーメンをもっとうまくできないかを考えると良い。
そこに肉野菜炒めをあんかけでかけてはいけない。
あくまでラーメンとして勝負することだ。

つまり、ダシや麺やネギなどを、
一つ一つ良いものに作り変えていくと良い。
パーツまで戻って、
もっと深くよくするとよい。

ラーメンという宇宙をもっと深くすることを考えると、
ニコイチで誤魔化していた頃に比べて、
さらに深くなることができる。


ありがちなのは、
チャーハンがいいんじゃないか、と、
ラーメンから再び逃避することだ。
そしてまた、ラーメンとチャーハンのニコイチで、
仮満足してしまうのだ。

そうではない。
ラーメンでやると決めたら、
ラーメンを極める方に努力すべきだ。

その上で、ラーメンが無理なら、
肉野菜炒めを極める方向に舵を切ってもよいだろう。



要素が多いな、
とまず思うことはとても大事だ。

「要素が多少多いけど、
俺はうまく捌いてるぞ」と思うシーンは、
たいてい「要素が多いな」としか思われない。

なぜなら「うまく捌く」かどうか判断できるのは、
書く者だけだからね。

多くの人は受け手でしかない。
だから、
「多くの要素をうまく捌いてるか/捌いてないか」
には興味がない。

「シンプルで深いものか/浅くて多くてごちゃごちゃしてるか」
にしか興味がない、
ということは覚えておくと良い。


だから、
多い要素は一つだけ残して、あとは捨てろ、
ということを常に意識するとよい。


「要素が多くてバラエティに富んでるぞ!
やったー!」な時って、
あまり多くない。
あるとしたら「可能性がめっちゃある」初登場時くらいかな。


ストーリーというのは広がり拡散するのではなく、
狭まり深くなっていくものだ、
と考えると良い。
posted by おおおかとしひこ at 06:45| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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