1シーンの中でいくつものイベントをこなさなければならないとする。
あるいは、一つのセリフの中で複数のことを伝えたいとする。
それを減らすには「絶対ないとダメな一つ」を見出すことだ。
なぜ複数あるとだめなのか。
イメージがぼやけて、はっきりしなくなるからだ。
ラーメン屋を例にする。
「ウチはラーメンが売りなんですが、
餃子も売りなんですよ」
となると、
「どっちがうまいの?」となるよね。
まだ、
ラーメン餃子セットで頼めるからいいかもだ。
「ウチはラーメン餃子セットが売りなんですが、
肉野菜定食も売りなんですよ」
となると一気にややこしくなる。
大に小をつけるならまだマシなのだが、
大二つはもうイメージがばらけてしまう。
ラーメン餃子セットというイメージ一つなら、
それで記憶できるが、
ラーメン餃子セットの記憶しかない時に、
「さっき肉野菜炒めの話しましたよね?」
と言われても、記憶に残ってないわけだ。
こんな時は、
どちらかに絞って他を捨てると良い。
どっちも大事なんだようーと泣きつく気持ちはわかる。
だけど、
「どっちかしか生き残れないとしたら、
どっちを残す?」
と自分に問うのだ。
ラーメン屋なんだからラーメン餃子セットを残して、
肉野菜炒めを捨てるべきだ。
ラーメン屋なのに肉野菜炒めがうまいというのは、
面白いので、ラーメン餃子セットを捨てるべきだ。
どちらの考え方も正しいので、
答えはない。
だから「決断せよ」ということを言っている。
さて、仮に肉野菜炒めを捨てたとする。
このとき、元のラーメン餃子セットでは不安だろう。
不安だからニコイチにしたのだろうからね。
だから、
このラーメンをもっとうまくできないかを考えると良い。
そこに肉野菜炒めをあんかけでかけてはいけない。
あくまでラーメンとして勝負することだ。
つまり、ダシや麺やネギなどを、
一つ一つ良いものに作り変えていくと良い。
パーツまで戻って、
もっと深くよくするとよい。
ラーメンという宇宙をもっと深くすることを考えると、
ニコイチで誤魔化していた頃に比べて、
さらに深くなることができる。
ありがちなのは、
チャーハンがいいんじゃないか、と、
ラーメンから再び逃避することだ。
そしてまた、ラーメンとチャーハンのニコイチで、
仮満足してしまうのだ。
そうではない。
ラーメンでやると決めたら、
ラーメンを極める方に努力すべきだ。
その上で、ラーメンが無理なら、
肉野菜炒めを極める方向に舵を切ってもよいだろう。
要素が多いな、
とまず思うことはとても大事だ。
「要素が多少多いけど、
俺はうまく捌いてるぞ」と思うシーンは、
たいてい「要素が多いな」としか思われない。
なぜなら「うまく捌く」かどうか判断できるのは、
書く者だけだからね。
多くの人は受け手でしかない。
だから、
「多くの要素をうまく捌いてるか/捌いてないか」
には興味がない。
「シンプルで深いものか/浅くて多くてごちゃごちゃしてるか」
にしか興味がない、
ということは覚えておくと良い。
だから、
多い要素は一つだけ残して、あとは捨てろ、
ということを常に意識するとよい。
「要素が多くてバラエティに富んでるぞ!
やったー!」な時って、
あまり多くない。
あるとしたら「可能性がめっちゃある」初登場時くらいかな。
ストーリーというのは広がり拡散するのではなく、
狭まり深くなっていくものだ、
と考えると良い。
2024年07月30日
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