オリジナリティがある!
斬新!
独自に作られたまったく新しい考え!
そんなヒーローを人は求めている。
ところがそれを生み出す側は、
誰からも理解されない孤独がある。
あれをああしたらこうなるはずだ、
それは今まで世界になかった、
斬新なものになり、
ヒーローになれるはずだ、
という見積もりで、
僕らは何かをつくりはじめる。
だが、
それがうまくいかないとき、
まだ最後までできていないとき、
誰の助けも得られない。
誰かにアドバイスを求めようものなら、
「それが理解できない(なぜなら完成してないから)」
ゆえに、
「これまでと似たものに寄せる」アドバイスしかないのよね。
「AがBという形ならば理解できる」
という客観的感想しかないのよ。
Aをやりたいのに、
BじゃつまらないからAをやりたいのに、
Bにしろと言われるのよね。
そりゃそうだ。
まだAは世の中にないから、
想像できないのである。
だからBでしか理解できない。
同語反復だね。
コロンブスの卵を思いついたのに、
殻を割る器用さがない状態、
といえるだろうか。
この状態で他人に相談しても、
「箸やスプーンで支えにすれば?」
「三個で寄りかかるようにすれば?」
などと、
これまであった方法論でアドバイスされるに違いない。
「そんなの無理だよ。
これまでにできた方法論を組み合わせた方が安牌だよ」
と、
止められるに違いない。
そこで、
コロンブスの卵に挑戦せずに、
「常識的な方法」に戻って、
平凡な作品を生み出してしまうわけだ。
それは、自信がないからか?
そうじゃない。
自信なんてあるわけがない。
だってまだないものの話なんだから、
確実にものにできる保証はない。
自信があるとすればそれは誤りである。
自信とは、過去の経験でしかないからだ。
ということで、
作者は常に不安なのだ。
不安だから、常識的な範囲にとどめてしまうのだ。
誰からも理解されない孤独が不安で、
他人と会話できるレベルで満足してしまう。
この不安を振り切るのは、
狂気しかないと思うんだよね。
それが絶対良い、
それが絶対革新的である、
それが不安の先にあると信じる、
狂気が駆動力になるわけ。
その結果出来上がったものが、
斬新でも革命的でもなく、
ちんけな陳腐なものである可能性は、
とても沢山ある。
それは、これまで沢山書いてきた人ほど知ってるだろう。
狂気駆動でやったとしても、
ガラクタしか産まない役立たず発明家という、
人生で終わる可能性の方が高いのだ。
だから、
斬新なものを作る人は、
常に狂気の孤独の中にいる。
成功率は知らない。失敗率はかなりある。
これに耐えられる人だけが、
斬新なものをつくれる。
頭のネジが飛んでる人、という意味でだ。
かつては、
パトロンがつき、
狂気の孤独を多数飼っていた。
一生を保障するから斬新なものを生涯生み出せと。
大企業の社員で、
そういう立場の人もたくさんいたろう。
リストラが流行り出して、
そういう人たちを飼ってる余裕がなくなり、
野に放たれ、彼らは野垂れ死にしたか、
家族のために狂気を封印したかのどちらかだろう。
結果、斬新で時代を変えるものは、
どんどん作られなくなった。
文化が豊かになるときは、
そうしたパトロンがたくさんいる時で、
狂気の孤独がたくさん飼われているときだ。
創作畑の人は、
会社員をしながら、夜だけその狂気を解放している人が多い。
でもその狂気だけじゃ、
孤独が足りないと思うんよな。
だから、Twitterでたくさん見る割には、
到達者が少ないように思う。
狂気の孤独に、一生いられるか。
いられた時に、斬新な作品ができる。
ずっといても、凡作しかできないかもしれない。
あなたはスタンスを決めなければならない。
この世界は、孤独なはみ出し者しかいられない。
2024年08月01日
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