2024年08月02日

ライブ感をお芝居に変えていく

僕のやり方かもしれないが、
まずはライブ感で書いていく。
そしてそのあと、お芝居的な脚本にできるところは、
そうしていく。


ライブ感のいい所は、リアルなところだ。
それぞれの思う第一反応をリアルに描けるので、
まるでそれを体験しているような想像をして書く。
だから反応が予定になかったようなこともするし、
いきなり冗談が決まることもある。
次どうなるか分らない、不安やドキドキもある。

しかし、逆に、
要らない所が沢山ある。
ストーリーが進行しなかったり、
あとで使わないゴミがたくさんあったり、
なかなか結論に辿り着かずに、
遠回りしたりする。

リアルだけど純度が低いということだ。

これを煮詰めて、
リアルからお芝居にしていく工程があるよ、
という話をする。


つまり、お芝居の脚本は逆である。

段取りがすごくしっかりしていて、
流れがきちんとできていて、
あとでつかわないものはなく、
最短距離で近づく。
最短手順になっていて、無駄がない。
あるいは、全登場人物に活躍の機会が振られる。

逆に、リアルじゃなくてご都合だったり、
なめらかすぎて嘘くさかったり、
各登場人物に気を使い過ぎていたりするわけだ。


だから、
その間を見極めていこうぜ、
ということを言いたい。

お芝居的な脚本をしっかり書くのは、
それはそれで難しいよ。
技術がいる。
研ぎ澄まされた無駄のないものにするには、
結構年季がいると思う。

一方、リアルなものを書くのは、
スピード感や動物的な反応が重要なので、
それはそれで集中力がいると思う。

それを、
両方やれるようにせよ、
ということを言おうとしている。


段取りにならず、
現実のフィルターで濾していないカオスにもならず、
全員に目端が利いたものになりすぎず、
一人や二人だけクローズアップしないように、
意味があり過ぎるものにならず、
無意味なカオスにならないように、
色んなものの間を取っていくべきだ。

あるいは、
全てが同じ濃度でなくてもいいかもしれない。

あるシーンはリアルで、
あるシーンはお芝居的で、
となっていてもいいかもね。

ただギャップがあり過ぎると、
ガクガクした感じになるから、
なめらかにうまくつながっているのが理想だよね。


リライトは、
そうした繋がりを滑らかに改変するためにも、
あると思っている。
リアリティの粒度があっていないものを、
合うように整えるものでもあると。
そして整えすぎるとそれはそれで読めてしまうから、
適度にばらして、
揺れを入れておく、
ということもやるべきだと思っている。


まずは体験して、想像の中で見たまんまを書くとよい。
それはリアルで先の読めない何かだろう。
ただし整理されてなくて、
全部を語る必要もないくらい、無駄が多いはずだ。

それらを、うまく整理して、意味を見出して、
技術的に整えていこう。
そして、整えすぎず、
リアルな野生は残しておくといいだろう。


それらの塩梅が分るには、
どんどん書いていくしかない。
それに気を付けてリライトするのも、
悪くないよ。
posted by おおおかとしひこ at 08:18| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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