僕のやり方かもしれないが、
まずはライブ感で書いていく。
そしてそのあと、お芝居的な脚本にできるところは、
そうしていく。
ライブ感のいい所は、リアルなところだ。
それぞれの思う第一反応をリアルに描けるので、
まるでそれを体験しているような想像をして書く。
だから反応が予定になかったようなこともするし、
いきなり冗談が決まることもある。
次どうなるか分らない、不安やドキドキもある。
しかし、逆に、
要らない所が沢山ある。
ストーリーが進行しなかったり、
あとで使わないゴミがたくさんあったり、
なかなか結論に辿り着かずに、
遠回りしたりする。
リアルだけど純度が低いということだ。
これを煮詰めて、
リアルからお芝居にしていく工程があるよ、
という話をする。
つまり、お芝居の脚本は逆である。
段取りがすごくしっかりしていて、
流れがきちんとできていて、
あとでつかわないものはなく、
最短距離で近づく。
最短手順になっていて、無駄がない。
あるいは、全登場人物に活躍の機会が振られる。
逆に、リアルじゃなくてご都合だったり、
なめらかすぎて嘘くさかったり、
各登場人物に気を使い過ぎていたりするわけだ。
だから、
その間を見極めていこうぜ、
ということを言いたい。
お芝居的な脚本をしっかり書くのは、
それはそれで難しいよ。
技術がいる。
研ぎ澄まされた無駄のないものにするには、
結構年季がいると思う。
一方、リアルなものを書くのは、
スピード感や動物的な反応が重要なので、
それはそれで集中力がいると思う。
それを、
両方やれるようにせよ、
ということを言おうとしている。
段取りにならず、
現実のフィルターで濾していないカオスにもならず、
全員に目端が利いたものになりすぎず、
一人や二人だけクローズアップしないように、
意味があり過ぎるものにならず、
無意味なカオスにならないように、
色んなものの間を取っていくべきだ。
あるいは、
全てが同じ濃度でなくてもいいかもしれない。
あるシーンはリアルで、
あるシーンはお芝居的で、
となっていてもいいかもね。
ただギャップがあり過ぎると、
ガクガクした感じになるから、
なめらかにうまくつながっているのが理想だよね。
リライトは、
そうした繋がりを滑らかに改変するためにも、
あると思っている。
リアリティの粒度があっていないものを、
合うように整えるものでもあると。
そして整えすぎるとそれはそれで読めてしまうから、
適度にばらして、
揺れを入れておく、
ということもやるべきだと思っている。
まずは体験して、想像の中で見たまんまを書くとよい。
それはリアルで先の読めない何かだろう。
ただし整理されてなくて、
全部を語る必要もないくらい、無駄が多いはずだ。
それらを、うまく整理して、意味を見出して、
技術的に整えていこう。
そして、整えすぎず、
リアルな野生は残しておくといいだろう。
それらの塩梅が分るには、
どんどん書いていくしかない。
それに気を付けてリライトするのも、
悪くないよ。
2024年08月02日
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