2024年08月03日

どこを切っても「もうすぐクライマックスだな」と思えるように

書き手は、クライマックスがどこか分っている。
だから「今どのへんか」を自覚して書いている。

だけど受け手は、全体の今どこで、
どこへ向かっているか自覚していない。
(初見が前提)

その差を分ったうえで、やるべきこと。


それは、「もうすぐクライマックスだぞ」と、
観客がつねに構えているようにすることだ。

もちろん、ずっと構えっぱなしでは疲れるので、
癒しの時間や休みの時間が必要だ。
ちょっとした笑いのシーンや、
闘いの中の日常的なシーンは、
みんな大好きだ。

ただ難しいのは、それが「だれている」という風に思われることだね。
緩急のつけ方のむずかしさ、
だといってもよい。

で、そのコツとしては、
「もうすぐクライマックスがやって来る」と、
予感させ続けることだと思うわけ。


たとえば戦争の話だとして、
その危険な戦いの中にちょっとした日常のシーンが、
癒しのシーンとなったとしようか。

それでも、「この二人はいつか死んでしまうかもしれないのに」とか、
「これから大きな戦いがあるから、
せめて今はふつうの日常を過ごしてほしい」というような、
裏の文脈を意識させながら、
癒しや休みシーンを描くと良いよ、
ということだ。

単に癒しや休みを入れるだけだと、
だらける、という事を言っている。

つねに緊張感あるようにしておくと、
「緊張しつつも、今は休まなければならない」
という休み方になって、完全弛緩しない、
ということである。


風魔10話で、
「小次郎は死ぬか、風魔の里へ帰ってしまうのね?」
という問いに、
「そうです」と答えるシーンが僕は大好きなのだが、
それは、
あれだけ遊園地デートという日常に振ったのにも関わらず、
緊張が持続しているからだ。
弛緩の裏に「別れ」を想像するからだ。

この感じがいつも出ると、
癒しや休みが、深くなると思っている。

「もうすぐクライマックスが来る」という感覚は、
大ラスの第三幕である必要はない。
これからデカい山が来る予感、
というものでよいので、
大き目のターニングポイントでいい、
ということだと思う。

「今はこれが順調に進んでいるが、
いずれ〇〇の日になると戦争になる」
という感覚であるならば、
第一幕であっても、
第二幕の途中であっても、
全然機能する、ということである。



ストーリーというのは、
ターニングポイントの途中か、
ターニングポイントの間か、
しかない。

ターニングポイントの間にいるとき、
前が見えていない状態ではなく、
次のターニングポイントが見えている状態にすると、
緊張が持続してだれない、
ということだ。

数ページ先に来るであろう、
小さな山を意識した状態にしよう。

それはあなたが、じゃなくて、
登場人物が、ということだ。
「来週プレゼンがある」とか、
「来月試合がある」とか、
「開店まであと3日」とか、
「明日早起きしなければ」とか、
なんでもよいのだ。

「終電なくなっちゃったね」のあとに、
「明日仕事なんで早く帰ります」とか、
「明日休みなんでたっぷりOK」じゃあダメなのだ。
「明日仕事だけど、もう少し居たい」にすると、
面白くなるわけだ。

このように、
「ただだらだらしている時間」がないようにすると、
話は面白くなる。
その未来に来るターニングポイントを意識した、
現在の行動や気持ちをつくることができる。


だから、次のターニングポイントは何かを、
作者が把握して、
それを登場人物たちに予感させ、自覚させると、
癒しや休みが、
「特別な時間」に化けると思うよ。
posted by おおおかとしひこ at 09:38| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

この記事へのトラックバック