書き手は、クライマックスがどこか分っている。
だから「今どのへんか」を自覚して書いている。
だけど受け手は、全体の今どこで、
どこへ向かっているか自覚していない。
(初見が前提)
その差を分ったうえで、やるべきこと。
それは、「もうすぐクライマックスだぞ」と、
観客がつねに構えているようにすることだ。
もちろん、ずっと構えっぱなしでは疲れるので、
癒しの時間や休みの時間が必要だ。
ちょっとした笑いのシーンや、
闘いの中の日常的なシーンは、
みんな大好きだ。
ただ難しいのは、それが「だれている」という風に思われることだね。
緩急のつけ方のむずかしさ、
だといってもよい。
で、そのコツとしては、
「もうすぐクライマックスがやって来る」と、
予感させ続けることだと思うわけ。
たとえば戦争の話だとして、
その危険な戦いの中にちょっとした日常のシーンが、
癒しのシーンとなったとしようか。
それでも、「この二人はいつか死んでしまうかもしれないのに」とか、
「これから大きな戦いがあるから、
せめて今はふつうの日常を過ごしてほしい」というような、
裏の文脈を意識させながら、
癒しや休みシーンを描くと良いよ、
ということだ。
単に癒しや休みを入れるだけだと、
だらける、という事を言っている。
つねに緊張感あるようにしておくと、
「緊張しつつも、今は休まなければならない」
という休み方になって、完全弛緩しない、
ということである。
風魔10話で、
「小次郎は死ぬか、風魔の里へ帰ってしまうのね?」
という問いに、
「そうです」と答えるシーンが僕は大好きなのだが、
それは、
あれだけ遊園地デートという日常に振ったのにも関わらず、
緊張が持続しているからだ。
弛緩の裏に「別れ」を想像するからだ。
この感じがいつも出ると、
癒しや休みが、深くなると思っている。
「もうすぐクライマックスが来る」という感覚は、
大ラスの第三幕である必要はない。
これからデカい山が来る予感、
というものでよいので、
大き目のターニングポイントでいい、
ということだと思う。
「今はこれが順調に進んでいるが、
いずれ〇〇の日になると戦争になる」
という感覚であるならば、
第一幕であっても、
第二幕の途中であっても、
全然機能する、ということである。
ストーリーというのは、
ターニングポイントの途中か、
ターニングポイントの間か、
しかない。
ターニングポイントの間にいるとき、
前が見えていない状態ではなく、
次のターニングポイントが見えている状態にすると、
緊張が持続してだれない、
ということだ。
数ページ先に来るであろう、
小さな山を意識した状態にしよう。
それはあなたが、じゃなくて、
登場人物が、ということだ。
「来週プレゼンがある」とか、
「来月試合がある」とか、
「開店まであと3日」とか、
「明日早起きしなければ」とか、
なんでもよいのだ。
「終電なくなっちゃったね」のあとに、
「明日仕事なんで早く帰ります」とか、
「明日休みなんでたっぷりOK」じゃあダメなのだ。
「明日仕事だけど、もう少し居たい」にすると、
面白くなるわけだ。
このように、
「ただだらだらしている時間」がないようにすると、
話は面白くなる。
その未来に来るターニングポイントを意識した、
現在の行動や気持ちをつくることができる。
だから、次のターニングポイントは何かを、
作者が把握して、
それを登場人物たちに予感させ、自覚させると、
癒しや休みが、
「特別な時間」に化けると思うよ。
2024年08月03日
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