リライトの時、「枝刈り」と僕は呼んでいる作業。
とくに前半戦、あるいは第一幕を書いているときは、
あとで使おうと思って書いていることって、
結構ある。
ここにもう一度戻ってこようとか、
これを前提であとで話しようとか、
そういう前振りのようなものが、
よく残骸として残っていることがある。
というか、そういうものだらけなのが、
序盤というものだ。
でも一回最後まで書き終えると、
「結局使わなかったな」
「そっちの方向には発展しなかったな」
となるものが、山ほどあるんだよね。
それを切っていこう。
なぜなら、使わないからだ。
長期連載で何年もやる場合は、
その行為は難しいだろう。
だけど映画シナリオならば、
それを丁寧にやるべきだ。
なぜなら無駄なパートだからだ。
そして、誤解も生むパートになるからだ。
序盤のアレがあったことでアレを期待したのに、
使ってないやんけ、という不満が出るわけだ。
あるいは、
序盤のアレのせいで、ストーリーがこういう方向に行くと思ったのに、
いかなかった、期待外れ、があるからだ。
つまり誤解や余計な期待を生んでいるわけ。
ストーリーの結末には、最短距離になっていないのだ。
それを除去していこう。
余計な期待や誤解を切っていこう。
もちろん、煙幕にわざとして、
先を読みにくくさせる効果もあるから、
その効果があり、結末に寄与する、
別の要素を足す必要があるかもしれない。
それを新しく考えることだ。
結末まで書いていたら、
それを考えることは容易であろう。
(それがおもしろいかどうかはやってみないと分らない。
機能として正しいことと、面白いかどうかは別のベクトルだな)
とくに序盤その枝刈りをお勧めするのは、
ストーリーの立ち上がりを早くして、
内容に入るのをスムーズにするためである。
ずっとセットアップしている話は面白くない。
他人事だからだ。
早く自分事として見たいというのに、
ずっとふらふらして、どこへ向かうか分らない序盤は、
退屈なのである。
だから、さっさと本題に入れるように、
無駄を切れ、という話である。
その基準として、
あとで使うものは残し、
あとで使わないものは捨てる、
というのが明確だよね、という話だ。
まあ、僕の家には、あとで使うかもしれない、
と思われるガラクタが大量にあったりするので、
そういう「備え」をするのは、
人間の本能でもあるわけだ。
しかしストーリーは最後までルートが決まっているのだから、
いらないものは捨てられるよね、
ということだね。
もっとも、
そのものがあることで、豊かになり、
魅力が増すことがあるので、
完全に捨てるとソリッドになりすぎて、
詰らないものになるかもしれない。
(そのソリッドさがシャープでよい、
という評価も可能である)
だから、どこかに置いておき、
あとで復活させるかどうかを検討するとよい。
たいてい、復活させるまでもない、
ということになるのが経験則だけどね。
「枝刈り」と僕が呼ぶのは、
伸びた枝が、
「こっちにも行けた可能性」を示しているからだと思う。
その可能性を最初から切って、
「こっちに伸びる」と明確に宣言するためにも、
枝は切っておくべきじゃないか、
ということだ。
完成形が分っているときにのみ、
出来る方法論だ。
テーマや落としどころが決まっていないのに、
序盤が決まるはずがない。
つまり、序盤とは、
終盤が確定するまでフィックスしない、
という矛盾がある、
ということを覚えておくべきだ。
だから、リライトでは、第一幕は7割は書き直される、
という経験則がなりたつ。
2024年08月04日
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