2024年08月04日

あとで使わないものを切っていく

リライトの時、「枝刈り」と僕は呼んでいる作業。


とくに前半戦、あるいは第一幕を書いているときは、
あとで使おうと思って書いていることって、
結構ある。

ここにもう一度戻ってこようとか、
これを前提であとで話しようとか、
そういう前振りのようなものが、
よく残骸として残っていることがある。

というか、そういうものだらけなのが、
序盤というものだ。

でも一回最後まで書き終えると、
「結局使わなかったな」
「そっちの方向には発展しなかったな」
となるものが、山ほどあるんだよね。

それを切っていこう。
なぜなら、使わないからだ。


長期連載で何年もやる場合は、
その行為は難しいだろう。
だけど映画シナリオならば、
それを丁寧にやるべきだ。

なぜなら無駄なパートだからだ。
そして、誤解も生むパートになるからだ。


序盤のアレがあったことでアレを期待したのに、
使ってないやんけ、という不満が出るわけだ。

あるいは、
序盤のアレのせいで、ストーリーがこういう方向に行くと思ったのに、
いかなかった、期待外れ、があるからだ。

つまり誤解や余計な期待を生んでいるわけ。

ストーリーの結末には、最短距離になっていないのだ。
それを除去していこう。
余計な期待や誤解を切っていこう。


もちろん、煙幕にわざとして、
先を読みにくくさせる効果もあるから、
その効果があり、結末に寄与する、
別の要素を足す必要があるかもしれない。
それを新しく考えることだ。
結末まで書いていたら、
それを考えることは容易であろう。

(それがおもしろいかどうかはやってみないと分らない。
機能として正しいことと、面白いかどうかは別のベクトルだな)

とくに序盤その枝刈りをお勧めするのは、
ストーリーの立ち上がりを早くして、
内容に入るのをスムーズにするためである。

ずっとセットアップしている話は面白くない。
他人事だからだ。
早く自分事として見たいというのに、
ずっとふらふらして、どこへ向かうか分らない序盤は、
退屈なのである。

だから、さっさと本題に入れるように、
無駄を切れ、という話である。
その基準として、
あとで使うものは残し、
あとで使わないものは捨てる、
というのが明確だよね、という話だ。

まあ、僕の家には、あとで使うかもしれない、
と思われるガラクタが大量にあったりするので、
そういう「備え」をするのは、
人間の本能でもあるわけだ。

しかしストーリーは最後までルートが決まっているのだから、
いらないものは捨てられるよね、
ということだね。

もっとも、
そのものがあることで、豊かになり、
魅力が増すことがあるので、
完全に捨てるとソリッドになりすぎて、
詰らないものになるかもしれない。
(そのソリッドさがシャープでよい、
という評価も可能である)

だから、どこかに置いておき、
あとで復活させるかどうかを検討するとよい。
たいてい、復活させるまでもない、
ということになるのが経験則だけどね。



「枝刈り」と僕が呼ぶのは、
伸びた枝が、
「こっちにも行けた可能性」を示しているからだと思う。
その可能性を最初から切って、
「こっちに伸びる」と明確に宣言するためにも、
枝は切っておくべきじゃないか、
ということだ。

完成形が分っているときにのみ、
出来る方法論だ。
テーマや落としどころが決まっていないのに、
序盤が決まるはずがない。
つまり、序盤とは、
終盤が確定するまでフィックスしない、
という矛盾がある、
ということを覚えておくべきだ。

だから、リライトでは、第一幕は7割は書き直される、
という経験則がなりたつ。
posted by おおおかとしひこ at 08:38| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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