2024年06月24日

別解の発見

Twitterから。
> 原作改変と言えば実写版風魔の小次郎の素晴らしさだけは後世に伝えて行きたい 車田先生が「俺もこうすれば良かった」と言うレベル

褒めてもらえるのはありがたいところで、
当然の評価だとも思うけど、
車田先生はそんなこと言ってない(未確認)ので、
この表現は注意が必要だね。
「ガンジーが助走つけて殴るレベル」と同じ類の表現と思うと良いだろう。


たしかにスティーブンキングが、
映画「ミスト」を見て、
原作であのラストを思いつかなかったのが悔しい、
と絶賛したエピソードは存在する。

だけど映画「ミスト」も、
実写風魔も、
たぶん「別解を発見した」
という感覚なんじゃないかと思う。

なぜなら、
完結したオリジナルがすでにあり、
「それをやりたいならばこれもありでは」
と考えられる時間がたくさんあったからだ。


数学の公式を思いつくことは並大抵ではない。
でも一旦そこに架け橋がかかることが分かれば、
別解があり得るか考えることは、
そう難しくないと思う。

そこに橋をかけることができる、
と発見したオリジナルの偉大さは揺るがない。


だから実写版の翻訳とは、
あくまで実写方向に別解を見つけた、
程度だと思う。

良いアニメ版も、
たぶんアニメ方向に別解を見つけていると思う。


「原作とはまるで別物」という場合もあるが、
「見た目はまるで別物」なのか、
「中身がまるで別物」なのかが問題だ。

実写風魔は、
「見た目はまるで別物で、
中身もまるで別物なのに、
本質は限りなく同じ」
という稀有な別解、という感じだと思う。


そんな風に評価を下すことは、
ファンでもない限り難しいかも知れない。
あの車田原作が実写化なんて無理に決まってるし、
ほら見た目もしょぼいしオリジナル満載じゃん、
なのに原作風魔と同じ匂いがするのはなぜ?
という魔法がかかっているのは、
「別解」を我々がつくったからだね。

答えは同じだけど、
ルートが異なるだけなんだと思う。
posted by おおおかとしひこ at 11:37| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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