2024年06月25日

This is 戦争

Twitter大喜利がおもしろかったので。


---以下引用。

> 悲惨な戦争の話なら
広島婆さんが講演会お涙頂点に達するとき、
一人の爺さんが立ち上がり
「貴様ら、それでも前の晩までウマイもん食ってたんだろうが、俺たち盃一杯のコメで一個中隊2週間、ジャングルをさまよい生き残ったのは3名だけ、ふざけるんじゃねー」
とパイプ椅子振り回し講演会強制終了

> 昔々、友人の小学校で近所の兵役経験者(満州事変頃)の爺さんに依頼して「悲惨な戦争経験を話してくれる」と期待したら、

『勝ってる戦争ほど愉快なものはない‼️』
『腰だめで軽機を掃射したら敵の兵隊が犬っころみたいな悲鳴をあげて倒れよるんじゃ』

・・・あたりで強制終了された話が大好き🤚

---引用ここまで。


つまり、「これが戦争」なのよ。

戦争とは、
「立場や考えることが違う人がたくさんいて、
それぞれが違うことを主張する」ことなのよ。

狭義の戦争は、
国家による宣戦布告と武力行使かもしれないが、
広義の戦争は、
「お前と俺は違うこと」なのさ。


「それを俯瞰で見たときにどうする?」に、
人類はまだ答えを持っていないんだ。

とりあえず、
「たくさん死ぬと悲しいから、戦争はやめよう」
しか言えないのよね。
でも、
「たくさん死んでも、守らなければならぬものがある」
も正しいのよ。

だから戦争はなくならない。


人類補完計画は、「だから全員が同じになろう」と、
全なる一への回帰を示した。
これは絶対他力である阿弥陀如来への帰依と同じで、
全能との合一は、あらゆる宗教の結論ともいえる。

だけど、「お前と融合するのは嫌」が、
絶対あるはずなのよ。

その根源を考えて、
「考えても無駄だから、互いに紳士として生きよう」が、
市民社会なのよね。
その市民社会の維持を法治が担っている。
法は互いが市民であることを前提としている。

そうした人類の積み上げてきた近代が、
最近徐々に崩壊してる気がするなあ。


(市民社会には奴隷が必要かどうかはまだ結論が出てないが、
原始共産社会でも穢多非人はいた。
市民社会が維持できるかどうかもわかっていない)
posted by おおおかとしひこ at 11:48| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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