前記事の、
キャッチコピーを疑問符にしたら、
急に面白くなったので議論しよう。
そもそもキャッチコピーとはなんだろう。
企業のあり方、主張、理想を、
キャッチーに上手いこと言ったものである。
何か言いたいことがあるから言うのであり、
何も言わないならわざわざ言わない。
一流企業のキャッチコピーともなれば、
数百万から一千万かけて開発することもある、
重要な哲学だ。
さて、
僕は作品のテーマはテーゼであるべきだと言った。
つまり「AはBである」のような、
主張の形式であり、
名詞どめのようなものではないと。
×テーマは愛です
○テーマは、愛が報われることです
(=愛は報われることがある、というテーゼになる)
というわけだ。
あらゆるよく出来たキャッチコピーは、
テーゼである。
それはつまり、
企業になにかしら言いたいこと、メッセージがあるからだ。
前記事の例を再掲する。
「明日の素 味の素」
「目のつけどころがシャープでしょ。シャープ」
「i'm lovin' it. マクドナルド」
「忘れものをとどけにきました。となりのトトロ」
「それは、君がくれた情熱。ちはやふる」
テーゼ形式に変換しよう。
味の素は、明日の素である。
シャープの製品は、常に目のつけどころがシャープだ。
マクドナルドは、自社製品を愛している。
となりのトトロが、(日本で忘れかけているものを)届けに来ました。
君がくれた情熱のおかげで、ここまで来れた。
この中で、
わざと入れたのだが、
マクドナルドだけがよくないコピーだね。
何も主張してないからだ。
ある会社が自社製品を愛しているのはあたりまえであり、
このキャッチはトートロジーである。
つまり情報量0だ。
だから「i'm lovin' it.」は長年使われたにもかかわらず、
誰もピンと来ていない、下手くそコピーである。
もっとも、
マクドナルドは劣悪な商品である、
という前提があり、
いやいやそうじゃないですよ、
自社製品を愛する我々が、
いいところをプレゼンしたいのです、
決して悪いもの食わせてボッタクリをしてるんじゃないんです、
というような、
裏の意味があるかもしれない。
にしても、平凡なコピーであることは批判を免れまい。
「トトロ」と「ちはやふる」は、
作品のテーマかどうかは微妙だ。
しかし、作品の本質の一つをつき、
それならば見てみよう、
と思えるほどの心の震えがある、
いいテーゼを持ってきている。
それならば面白そう、と思えるからね。
つまり、
キャッチコピーとは主張である。
主張とはテーゼの形になる。
×テーマは愛です
○テーマは、「愛が大事です」を言っています
というわけだ。
さて、疑問形でまた笑うか。
「愛は地球を救うのか? 24時間テレビ」
「明日の素なのか? 味の素」
「目のつけどころがシャープなのか? シャープ」
「am I lovin' it? マクドナルド」
「私、忘れ物を届けに来ました? となりのトトロ」
「それは、君がくれた情熱? ちはやふる」
全員痴呆症かよ。
主張すべきところで、
「俺は誰だ?」と自分がわからなくなってるから、
面白いんだな。
こんなことも分からない、
日テレ担当者は、
中学生以下の読解力だ。
「セクシー田中さん」の読解力のない担当者とは別人だろう。
だとすると社内に二人はいるわけだな、バカが。
作品は何のためにあるのか。
人は何のために生きるのか。
それ自身が何も主張してなくても、
他人はそれに意味を見出す。
だから、作品にはテーマがあった方がわかりやすくて乗れる。
それだけのことだ。
「愛は地球を救うのか?」は、
センタークエスチョンなら正しい。
イエスと最後に答えられるのならば、
「愛は地球を救う」がテーマで、
ノーならば、
「愛では地球は救えない」である。
「愛は地球を救うのか?」がテーマです、
なんて「私は誰?」と同じだ。
そんなぼんやりしたやつが人前に出てくるとは、
表現とは何かを考えて出直せ。
100歩譲って、
「愛は地球を救うのか?」が、
最初にテーマとして出されればわからないでもない。
「イエス」と答えるための番組です、
と言えるからね。
でもずっとテーゼだったテーマを疑問形にしたら、
不安しか残らんわな。
こんなことをあらためて誰も解説しないだろう。
当たり前だからね。
しかしそれすらきちんと解説できないなら、
やっぱり分かってないってことさ。
2024年06月26日
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