2024年06月28日

予告編をつくろう

ためしに、今書いているやつの予告編をつくってみるのだ。
そうすると、見えてくるものがある。


もちろん、動画でつくるのではなく、
テキストで考えるといい、ということだ。

あるメインのセリフを抜き出すことになるだろう。
すごいアクションを抜いてくるだろう。
息抜きのギャグみたいなのが最後に挟まれるかもしれない。
緩急をセリフでつけることになるかもしれない。
ゆったりとした間から、絶叫をつなぐかもね。

それに字を乗っけることも出来るよ。
「万年ロートルボクサーに訪れた、
最大のビッグチャンス……!」とタイトルを乗っけて、
「俺に全盛期はなかった!」というセリフに繋ぐことも出来るわけだ。
もちろんこれは「ロッキー」の予告編をつくろうとしている。
そのあと、エイドリアンとのラブロマンスにつないでもいいよね。

予告編では時系列をバラバラにできる。
ハイライトをうまく抽出して、
いい感じにバラバラにしていくとよい。
意味のバラエティを編集する感覚だ。

さあ。
あなたの物語は、
どういう予告編になるだろう?
どういう導入をして、
どういう面白そうだな、があり、
どういう映画のジャンルかわかり、
そしてどういう締めで、期待をマックスにさせるのだろう?

まだ完成もしていないものの予告編をつくるのは、
遊びでもあるが、
実は客観的な視座に立つことでもある。

「これはどのように見せるのが最適解か?」
を考えれば考えるほど、
「そもそもこれはどのように見えているのか?」
を見なければならない。

それに気づくために、
「予告編をつくってみようぜ」という遊びを、
やってみると良いのだ。


今書いている話では、
「北の大地で、静かに炎を燃やすやつがいる」
という導入のタイトルを入れることにした。

なかなかキャッチーな導入だ。
つまりこれを思いついた時点で、
この話は、寒い北の風景と、
登場人物の情熱とを対比させたものなのだ、
という本質に気付くことができるわけだ。

自分が思ってもいなかったことを、
予告編をつくってみることで気づくことがある。
無意識では考えていたことかもしれないが、
あえて人に説明する、ということをやってみると、
こうしたことに気付けるわけだね。

自分のものの例では、
そうか、寒いところでは情熱の炎が対比的によく見えるな、
という発見だった。

自分がなぜ寒い大地を舞台にしているのか、
理由が分った気がするからだ。
自分は人の情熱が書きたいのであり、
それを表現するために、
わざと寒い所へ放り込んだのだな、
という無意識に気づくことができた。
なるほど、じゃあ、寒い風景と人物を、
対比した場面をつくったほうがいいのでは?
などと、ここから背骨を通していくことが可能になるわけだね。

もちろん、この導入でなくてもよい。

ヒロインのセリフ(これがテーマになる)、
「ねえ、人生は、一度失敗したら失敗?」
と尋ねるセリフから始める手もある。
この場合、失敗した人生のやり直しの話である、
という導入になるわけ。

あるいは、今書いているクライマックス直前での、
ライバルとの会話、
「俺は、お前がまた落ちねえかなって思ってる」
「俺も、お前が一回落ちればいいのにって思ってる」
から始めたり、
これをエンドに持ってくる、
ということを考えても良い。

なんにせよ、
「見ている人や登場人物の感情が高まって、
しかもキャッチーなポイントはどこか?」
を探すときに、
予告編をためしにつくってみるのは、
とても有効な手段だということだ。

もし絵が描けるならば、
それをコンテ形式にしてもよいし、
コンテが無理ならば、
ポスターをつくってみてもよい。
そうしたら、
キャッチコピーを書くことになるだろう。

キャッチコピーを書くことは、
その作品の本質に迫り、
その作品をキャッチーに見せ、
しかも落ちをばらし切らず、
面白そうと思わせなければならない。

これを短く書ければ、
もっとも作品を客観的に見たことになると思う。
(それがとても的確で良いキャッチコピーならば)


単純に、
予告編を見るのって楽しいよね。
ああ、映画だーって気になるよね。
自分が書いた名セリフが連打されるのを見るのは、
なかなかに爽快なものがある。
つまり予告編とは、
上手なダイジェストだともいえる。

うまく圧縮して本質を抽出して、
ダイジェストとしてよいものをつくりながらも、
ネタバレを避け、
しかしキャッチーなところは残し、
ということをやらなければ、
いい予告編はつくれない。

それってつまり、
その物語の構造がちゃんとわかっていて、
しかも外から見て面白そうだと判断できる、
客観性がないとできないわけだ。

すべての要素がしっかりしていないと、
いい予告編にはならないだろう。
だから、
それをつくることで、
「ああ、自分には〇〇が足りていないぞ」と、
チェックするときに使えるということだ。

「ああ、予告編に使えるほどのいいセリフを書いていないなあ」とか、
「絵になる場面がないなあ」とか、
「案外コメディリリーフが足りていない」とか、
「何かを対比させたいのに、足りない」とか、
「テーマを象徴するシーンってあるかなあ」とか、
「ヒロインの可愛い所とかないな」とか、
「そもそも何が言いたいんだっけ?」とか、
「なんか盛り盛りすぎて、お腹いっぱいになる」とか、
「他のたくさんの予告編に混じっていたときに、
何かひとつだけ持って帰ってください、となると、
何だろうか?」とか、
考えることになるわけだ。

それを考えることで、
作品の枠の外に出て、
客観的にとらえて、
リライトの指針にできるわけだね。

その意味で、
「予告編をつくろうぜ」ということだ。
posted by おおおかとしひこ at 10:01| Comment(2) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
大岡さんこんばんは
映画の予告編で
本編は置いといて
お勧めの予告編を教えてほしいです。
Posted by 姫井叫 at 2024年06月29日 02:11
>姫井叫さん

何の記憶にも残ってないですね…
予告編なんてそんなもんじゃないですかね。
Posted by おおおかとしひこ at 2024年06月29日 05:38
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