女ってドラマの人間関係図好きよな。
「誰々の矢印が誰々に向いてる」やつも大好物よね。
僕はそれが昔から苦手だったんだけど、
どうも男女差が結構あるんじゃないかと思った。
女子が自主でつくってたものをTwitterで見たので。
この図自体の話ではなく、
「こういうの好きよね」の例だ。
これは実在の球団であり、
この人間関係があってるのかどうかは分からないが、
まあ多分事実関係をもとに、
矢印を書き込んだものと思われる。
腐女子の方々も、○×△なんてやってますが、
基本的にはこの「矢印を見つける行為」が好きだからだと思う。
仮にこれをボトムアップ人間関係図と呼ぼう。
僕の人間関係の認識はこうではなくて、
トップダウン型をしている。
たとえばこんな感じ。
監督ーコーチ
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+ーーーーーーー+ーーーーー+
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ピッチャー キャッチャー 内野、外野
つまり組織図のような関係図。
あとはそれぞれのカテゴリー内に年次があり、
10年目を仮にトップとして、9年目、8年目…ルーキーと、
序列がある感じ。
実力や年俸ではなくて、年次なのが昭和式だろうね。
男が、女が、となるとどうでもいい議論に巻き込まれるが、
男は基本先輩後輩の関係性の中にいるため、
まずはこれが第一義になる。
つまり、「相手は上か下か」「どの部に属するか」になる。
これは軍隊式組織や、狩の群れにおいて、
命令系統を整理して、
一個の組織としてすばやく動くための方法論だろう。
(それが機能不全に陥ってるのが、
各部署が喧嘩してて折り合いをつける状態で、
トップダウンになってない場合)
この中で、矢印が生まれることもあろう、
程度だね。
僕はボトムアップ方式を見ていつも思うんだけど、
「関係性なんて出来事によって変化するやろ」
と思うわけ。
「誰々は誰々をこう思っている」なんて、
時事刻々と変わっていく。
その浮き沈み前提で組織は成り立っていて、
だから立場の上下を固定して、
変化を前提として動くのだと考えられる。
一方、
ボトムアップは、
上下関係なく個別の気持ちに寄り添うことができる。
逆にいえば全体は見えていない。
「そんな人だと思わなかった」は、
ネットワークに異変をもたらす。
とはいえ、勝手に矢印は再整理されて、
別のネットワークになるだけだが。
つまり、アイデンティティが異なる。
トップダウンは、立場が固定されていて、
その他は変化を前提としている。
だから、上下移動や内面の変化が主題になる。
ボトムアップは、関係性が固定されていて、
変化したとしてもそれを呑み込むだけだ。
だから、好きとか嫌いとかその気持ちの変化、
または確認が主題になる。
このように考えると、
少年漫画と少女漫画の違いがわかるような気がした。
少年と少女の「世界の捉え方」が異なるのは、
生得的なものか、教育によるものかはわからない。
しかし結果的に、
この違いは、大人にも広がっているような気がする。
男的組織、トップダウン組織にいると、
好き嫌いはどうでもよい。
仕事の遂行において合目的かどうかが基準だ。
ここに女が入って来ると、
好き嫌いで話が決まるので、
合目的かどうかがぶれていくことが多い。
もちろん、嫌いな人の話は聞かないし、
好きな人の話は間違ってても通す。
まあ僕は出来ない女ばかりと仕事をしたからこのような偏見があるが、
出来る女は別かもだし、
嫉妬で足を引っ張ったり、見栄だけ張る出来ない男もたくさんいる。
出来る女、ぜひ一緒に仕事をしてください。
この偏見を覆したい。
子供の頃、腸みたいな形の迷路を書いてた人は、
高確率で理系に進む。
そうした脳の生得的な働きは、
あるような気がする。
もちろん脳というのは可塑性があり、
得意不得意もある。
というわけで、
得意な形式の人間関係図ばかりでなく、
苦手な形式の人間関係図を使ってみると、
自分にない常識や概念や、
世界の見え方の発見があるかもよ。
2024年06月29日
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