って忍びの役目じゃなかったっけ。
都知事選がひどい。ろくな候補がいないどころか、
立花一派がやまほど泡沫を出して、
撹乱にかかっている。
今回は表現の授業である。
このポスターのなにがよくないか?
まず意味がわからない。
パパは美玲と奈緒を愛しているよ
お母さんは悠真を愛しているよ
パパは結衣を愛しているよ
これはなんなんだ?
一つの家族の話ではないっぽい。
美玲もしくは奈緒をお母さんの名前だとしたら、
悠真をパパは愛してないことになる。
そうした偏った家族かもしれないが、
第二のパパが出てきて、
これまでにない結衣が出て来るということは、
三つの家族の、バラバラの情報だとわかる。
そしてこれは、
あることに対する返事、それに対する返事という、
LINE的なグループチャットではなく、
街のランダムに抽出された声であろうこともわかる。
会話になってないからだ。
それと都知事選という文脈から、
「親というものは子供を愛しているものだ。
だから都知事選はこれからの生活に重要であり、
我々が選ばれるべきである」
という主張を読み取ることができる。
つまり、立花一派は、
「一人の親として、都民という子を愛するのだ」
と主張しているように読める。
だとしたら、
あまりにも稚拙な、下手な表現である。
僕が表現チェック係をしたいぐらいだ。
下手くそだから公共に迷惑であると。
表現の自由が許されるならば、
全裸ポスターは剥がされるべきではない。
「目を逸らす自由」が民にはある。
だが、全裸ポスターが剥がされて、
この汚物のような表現ポスターが剥がされない意味がわからない。
これこそ公共猥褻物である。
僕は全裸ポスターは剥がされるべきではないと思っているので、
泣く泣くこの汚物が存在する自由を認めよう。
さて、
ではこの表現がなぜ下手なのか解説する。
主語が誰か分からないからである。
この三人の親と、主語=立花党との関係がわからないのだ。
立花党は、子を愛する親のように、
都民を愛しています。
だからそんな政策を実施します。
と主語と述語と、譬え話を整理するだけで、
意図するところは伝わる。
それが何故このようなわかりにくい、
まどろっこしい表現になっているのか?
第一の理由は下手だから。
第二の理由はわざと。
すぐに考えられるのは、第二の悪意である。
すなわち撹乱だ。
都知事にアホほど泡沫をまぜることで、
都知事選自体が馬鹿らしいと思わせて、
投票率を下げることが、
この撹乱の目的であろう。
それで得するやつは誰だ。
そいつが雇い主だな。
緑のタヌキかね。
立花は、忍びの仕事をしてるのだな。
古来より忍びは被差別民の仕事であった。
死んでも自由に切り捨てられるからね。
ちなみに花売りは、忍びの潜入時の七色の化方のひとつだ。
立花という姓は、その系列の可能性もなくもない。
第一の理由の場合を考えよう。
単純に下手な場合だ。
なぜストレートなコピーにしなかったのか?
「人々が親しみやすい吹き出し形式で、
今時の子供達の名前なら振り向いてくれるのではないか?」
という表現への浅ましさを感じる。
実はこの浅ましさ、媚びこそが、
表現にとって最も敵である。
表現の内容がショボいから、
ガワで誤魔化そうとしているわけだ。
なのでその生皮を剥がしてみた。
中身はとてもしょぼくて醜いものであった。
表現とは、内容という中身と、
それをどう表現したかというガワの、
マリアージュである。
中身AをAで表現するのをストレート、
AをBで表現するのを表現という。
80キロのストレートしか投げられないやつが、
ガワを工夫して90キロに見せようとして、
2キロになったわけだね。
ストレートは誠実さでもあるよ。
立花は正直にものを言ってみてはどうかね。
しょぼい正体をさらして、
それでもなお主張を曲げなければ、
それなりに好かれるよ。
こすいことをやってる下手くそが、好かれるわけないじゃない。
表現は、なんのためにやるのだろう?
好かれるためにやるの?
違うよね。
そのAを届けるためにやるのだよね。
2024年06月28日
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