死ぬ、去ぬ(往ぬ)、だけ説。
Twitterから。
> 「死」を伏字にしても、「ぬ」で終わる動詞は現代日本語には「死ぬ」しかないから実は意味ない
これは以前議論した。
「ぬ」で終わるのは死ぬ、去ぬだけで、
現代語は死ぬだけでは?と。
その後観察した範囲ではないような気がするから、
ほんとにこれだけかもしれない。
というのは、
薙刀式では「ぬ」以外、
すべてのウ段カナが右手なのだ。
どういうことかというと、
「動詞の終止形のラストが右手」であることから、
「左から右へ流れる」ことがわりと高くなるわけ。
また、「い」(形容詞)「だ」(形容動詞)も、
右手なので、
「左から右へ流れる」が揃っていることになる。
「左から」は微妙なところだけど、
「右で終わる」は確実。
例外的に「ぬ」が左手なので、
もし「ぬ」で終わる動詞が多かったらいやだなー、
と考えたのだが、
経験的に死ぬしかなくない?って思ってて、
「死ぬ」をひとつの例外とすれば、
すべての動詞を、「死ぬ」以外右手で終われる、
ということになるわけ。
もちろん、連体形=終止形なので、
さらに次につなぐときはどうなるかはわからないが、
でも一旦右手で言葉を終えて、
という流れは変わらない。
この、
右手で終わるという感覚は、
左から右へ、という感覚を強く支えていて、
かなり薙刀式の感覚をつくっていると思われる。
助動詞に関しても、
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E5%8A%A9%E5%8B%95%E8%A9%9E_(%E5%9B%BD%E6%96%87%E6%B3%95)
を見る限り、
否定の「ぬ」以外は、
すべて右手終わりだ。
左手はじまりはどうだろう。
単語先頭文字の統計ってあったっけ。
少なくとも、
拗音イ段は全て左手で、
漢字第二音はほぼ右手なので、
熟語で現れる拗音はかならず左手→右手の感覚になる。
また、
助詞のかなり多く(7〜8割)は左手だったから、
左手でつなぐ、という感覚は濃厚である。
こうした理由から、
薙刀式は、大きくは左手から右手の流れを感じるようになっている。
日本語の文字はおおむねこのように書くから、
この感覚が色濃くなっていて、
それが心地よさに繋がってると思う。
この感覚は、他の配列にもあるだろうか?
qwertyローマ字にはない。バラバラでイライラする。
左子音、右母音の行段系は、
1カナに関しては左→右だけど、
言葉単位での流れは関係ない。
親指シフトもほとんど感じなかった。
(一応漢字二文字目はすべて右手)
飛鳥もほとんど感じなかった。
新下駄は、外→内の感覚があった。
新JISは、右人差し指下段が「っ」「る」なので、
繋ぎの要に右人差し指を使う感覚があった。
しかし、
薙刀式のような、言葉やブロック単位での、
「左から右へ」はあまり聞いたことがない。
なので、
実はここが薙刀式の運指感覚を強く規定してるかも、
という気になってきた。
僕は無意識的にこのように配置して、
気づいたらこうなってて、
あとで理屈に気づいて、
そうなってない所を改修して、
現在のバージョンになってきている。
「手の感覚」というのは恐ろしいものだ。
逆に、僕がそうした手の感覚を持っていたからこそ、
バラバラの運指の配列を使って、
違和感満載だったのだろう。
「ぬで終わる動詞は死ぬしかない」
だけでこんだけ話せる人、
日本に何人いるんだ。笑
2024年07月01日
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