2024年08月09日

脚本の採択基準は、儲かるか/儲からないかである

プロの世界の身も蓋もない話。

プロの世界が、
全員脚本が読み込める人ばかりではない事実がある。
母国語だから読めてると思うのは甘えだ。
国語のテストが0点から100点までバラバラだったろ?
その上位ばかりが業界にひしめくわけではない。

経験的に映像の世界は、ごく一部をのぞいて、
概ね学校のテストと同じくらいの分布だ。

さて、そうなると、読めない側の人は、
どうやって「この脚本はいいね」というか知ってる?


「いいか/悪いか」
「世界を変える素晴らしいものか/惜しいものか/クズか」
「文学史に残る出来か/スマッシュヒットレベルか
/平凡か/カスか」
「これまでなかった新しいものか/擦られまくったものか」

で、判断しないのよ。

そういう「むずかしいこと」は、
賢い人の意見を鵜呑みにするのね。

なんなら「若い子の感性を大事に」とかいって、
事務のお姉ちゃんの意見を優先したりする。
自分のセンスに自信がないわけだ。


そうすると、評価のベクトルはほかにある。

儲かりそうか/儲かりそうじゃないか、だ。


商売人としてのカンがさわぐならまだ分かる。
これは今までにないジャンルで、
沈滞ムードの邦画界に風穴をあける、
スマッシュヒットになり得るポテンシャルがある、
これに○○をつけて○○をトッピングすれば、
完璧だぜ、
などのようなカンがあればいいんだが、
そういう人もほとんどいない。

だから、過去の法則に則ってるか?
なんだよね。


今人気の○○が主演できそうな内容か?
○○目当ての客が○万人来そうか?

予算が○億円かかるとして、○億円のリクープラインに届くか?
平均的なものよりも○億円余計にかかる内容ならば、
その余剰○億分をペイできるほどの余剰上映館を確保できるか?
(一館あたりの稼ぎ曲線を同一と考える。
ロングランとか局地的ヒットというのは、
例外として考える)

宣伝会社の○○を説得できる材料が揃ってるか?
そこの宣伝会社に断られたら、
宣伝がうまくいかずヒットはしないだろう。

銀行その他から資金提供が可能か?
スポンサーになんといえば説得できるか?
金をどれだけ返せるか?
返せない場合、損失を他の作品で担保できるか?


つまり、
規模感と金勘定だけで、
儲かるか儲からないかを損得計算するのだ。
内容の出来不出来ではないわけ。

基準は主演俳優だ。
格のようなものが決まってて、
この人主演ならこの価格帯になる、というのがある。
これは間違ってるとも思えるし、
経験値的に合ってるとも思える。

だけど主演する側にしてみれば、
違う役もやりたいだろうにね。

そうそう。車の仕事をしたときに、
「車格」という業界用語があることを知った。
年収、家族構成、職業などによってカテゴライズされるのはなんとなく想像できるけど、
基本は価格帯のことなんだよね。

「この車格に乗れる人/乗れない人」みたいな、
人の足元を見るようなカテゴライズがされていて、
あるメーカーの車たちは、
車格によって分類されているわけ。

合理的な手段なのかもしれないが、
じゃあ車の魅力ってなに?と考えると、
決まった車格の範囲内しかないのよね。
そりゃワクワクする新車が出てこないわけだよ、
と思った記憶がある。
(これは少し前の話なので、
豊田社長が暴れてからは変わったかもしれない)

これと同様に、
主演格のようなもので、
脚本をカテゴライズするわけ。

○○格なら投資○億回収○億みたいに、
見るだけなのよね。

もちろんブレはある。
役所広司だったら、妻夫木聡だったら、
新田真剣佑だったら、目黒蓮だったら、など、
人によってブレはあろう。
最近何本かの興収を見て、
「勢いがある/ない」を判断するだけかもしれない。


ほんとにそんなもので決めてるのかは知らない。

だけど、
人気漫画原作、三浦春馬主演、特撮大作前後編、
人気評論家が脚本を書く、
という枠組みだけで、
「進撃の巨人(前後編)」みたいな最低レベルの脚本になるのは、
脚本を読んでなくて投資が行われてるとしか思えない。

脚本を読んだ上で判断したのだとしたら、
現国1点レベルの読解力だろう。



だから、
あなたの書いた脚本は、
どれだけ心を動かして、
どれだけ世界を動かすか、
で採択されるのではない。

儲かりそうか、金がかからなくてぼったくれそうか、
で採択される。
なんなら中抜きできそうか、かも知れないよ。

主演俳優が断らずに乗っかればビジネスは動く。
主演俳優が読解力がない場合もあり、
やりたかった原作だからやる、という場合もあり、
しがらみで受けざるを得ない場合もある。

そのビジネスの護送船団が、
動きそうならやる。
動かせなさそうなら出来ない。
それだけのようだ。


たとえば映画「いけちゃんとぼく」で、
主演?のいけちゃんの声を、
僕は蒼井優がベストと思ってオファーした。
しかしプロデューサー陣は、
そんな格上を想定してなくて、
もっと下の格の人が候補リストにならんでいた。
具体的な人を忘れたのであれだけど、
僕は「演技力において志が低い」と思った記憶がある。

なにせ「CG相手に人が泣くわけがない」という、
素人並みの認識だったからね。
人はCGに泣くのではない、ストーリーに泣くのだ、
という基本を分かっていなかった。
CGや特撮は金がかかるものの格下だと思われていた。
直近の特撮ものが「妖怪大戦争」だったからね。

だから、
主演の格では商売できず、
原作の格で勝負、という風な商売だったわけ。
「内容の格」じゃないのよね。

だから母親役に格上を当てるために、
脚本は何度も書き直され、
どんどん内容が減じていった。

一旦小泉今日子に決まりかけたが、
本人が主演でないとやらないとなって、
その話はなくなり、
ともさかりえに決まった。
僕はむしろ彼女の演技力でよろこんだのだが、
宣伝部は格が足りてないとずっと言ってたな。

その場合の格とは、演技の実力ではなく、
マスコミがどれだけ動くかとか、
周囲がどれだけ厚いかとか、
動く金額とかなんだろう。


他にも某Pに、
「ホンは面白いと思うけど、
今これをやれる人がいないから、
どこにも持っていけない」となったこともあった。
人気芸能人は有限であり、
彼ら彼女らに合ってない役は、
存在することができないわけ。

無名の新人でやることも可能だけど、
それでは商売にならない、ということなのだ。


つまり、
「おもしろいはなしをつくる」
ことが脚本の目的なのにも関わらず、
採択する側は、
まったく異なる次元で脚本を選ぶ、
というわけだ。

おもしろさは問わず、
儲けの格におさまる脚本から、
順に選ばれる。
オリジナル脚本と、人気原作付き脚本なら、
後者が選ばれる。
なぜなら内容で比較してなくて、
動く金額で見ているからだ。


書いてて悲しくなってきた。

そうじゃない枠組みで戦いたいが、
その場所はどこにあるのだろう。



今僕が書いてる話は、
とても面白く、世界を変える力があると思う。
だけどちょっと金はかかりそう。
そんなにはかからないが、標準よりかかる。

それをカバーできる「儲かりそうか」は、
どこにあるのだろう、
とふと立ち止まって考えるが、
「主演俳優○○○なら相談できるかもなー」くらいかな。

ちょっと前に流行ったのは、
地方自治体と組み、
ロケ地協力してもらい、エキストラも格安でお願いして、
聖地巡りの観光客を狙うことだった。
その要素は一つ入れているが、
だからといってそれで○億なのかは、
プロデューサーではないので分からないところ。



つまり結局、
「採択する脚本を読めない人が、
ビジネスだと思うか/思わないか」が、
採択の基準である、
という、身も蓋もない話になる。

その人が「で、この脚本はおもしろいの?」と聞く人が、
おもしろいです、と答えられる脚本に、
なっているべきだろう。
ただその人が現国100点か20点かは、運だ。


Netflixは、脚本開発にかなり労力をかけるそうだ。
一度体験してみたい。
誰か呼んで。
ずっとコネクション探してるんだけど、身近にいない。
posted by おおおかとしひこ at 09:19| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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