2024年07月05日

聖闘士星矢が完結したらしい

僕の聖闘士星矢は十二宮編までで、
ポセイドン編もハーデス編も、
おもしろいとは思えなかった。

いずれゼウス編ってあるのかなー、
でもゼウスはリンかけで倒しちゃったしなー、
そもそもギリシャ神話モチーフが、
リンかけからの再利用みたいなもんだなー、
などと眺めていたが、ハーデス編で終わったのだろう。
クロノスとかウラヌスとか、ギリシャ神話的にはあるのになあ。

ということで続編は一切読んでない状態なのだが、
その後18年もかけての完結はおつかれさまでした。

なんとなく妄想したことを以下に記録しておく。


車田正美漫画史上、
最高の盛り上がりだったといっても過言ではない、
黄金十二宮編。

(最高かどうかは異論がわかれる。
竜児対剣崎、聖剣戦争に並ぶかもだ。
ただ、アニメ化もこみでの世間の盛り上がりという意味では、
最高といってもよいだろう)

それが急にポセイドン編で失速したことを、
今でも覚えている。

聖剣戦争編という最高潮からの、
叛乱編で失速した風魔と、
運命は似ていると感じた。

なぜそうなったのだろう?



少年漫画は、宿命として拡大を余儀なくされる。
インフレとは敵がどんどん強くなることだけど、
それと同様に世界が拡大しなければならない。

スポーツ部活ものが、
レギュラー争い→先輩たちとの確執→地方大会→県大会
→全国大会→世界大会
と拡大していくのとおなじだ。

少年漫画は少年が読むものであり、
それは少年の成長の感覚=肉体が大きくなる途中で、
世界が広がり、それらを捉えられるような感覚と、
シンクロするべきだからだ。

少年たちの体の成長速度よりも、
漫画の世界の拡大の速度が遅いと、
つまらなくなるのよね。

なぜ世界は拡大し、敵はインフレするのか?
の答えはこれだ。

世界が拡大せず、敵がインフレしないと、
世界は狭いままになってしまう。

世界の枠を先に決めて、
その深みを掘っていくのは少女漫画の方法論である。
少年漫画は、浅いかもしれないが広がるのだ。

聖闘士星矢が浅いのは当然で、
だから深みを腐女子たちが掘ったのだろう。
少年たちには拡大で応え、
腐女子たちには掘ってください(二重の意味で?)、
と応えたのが、
聖闘士星矢という回転であったと思う。



その拡大に、ポセイドン編では失敗した。

地球は3割が陸であり、残り7割は海である、
という拡大感はとてもワクワクした。
これこそ次の敵に相応しいと、
少年たちの心をくすぐるのはとてもうまかったと思う。

でもその後の具体がね。

青銅→白銀→黄金と駆け上がってきた、
その先の頂点に、
海闘士がいるとは思えなかったのよ。

聖闘士みたいに階級があるのか?
海闘士は青銅クラスと同じで、
○○が白銀、
○○が黄金に匹敵する、
みたいなのもたしかなかったよね。
その対比もないまま、ただ海闘士だったから、
「なんかよくわからんもの」で終わってしまった。

つまり、世界は広がらず、収縮してしまったのだ。


ジャストアイデアだけど、
海に関しては日本の方がヨーロッパより豊かなのだから、
それをネタにすればよかったのに。

つまり、雑魚海闘士は、
イワシやアジやワカメなんかをモチーフにして
(もちろんカッコよく、
サーディン、ホース・マッケレル、シー・ウィード
と名乗ればヨシ)、
マグロやタイを黄金と同等に据えればよかったのに。
(ツナ、スナッパー。あんまり強そうじゃねえ。むしろ身近…)


海の化け物ってさ、
昔調べたんだけどあんまりいないのよね。

リヴァイアサン、クラーケン、幽霊船くらいしか、
ネタがないのよ。

海の妖怪も昔調べたけど、
海坊主、不知火、七人岬、アマビエ、幽霊船
くらいしかいないのよね。

陸地の怪物、妖怪に比べて、
海のものってとても少ない。

だから海闘士のネタがあまりにも少なすぎたんだと思う。
必殺技も全然覚えてないもの。

紫龍の滝と竜の中国らしい廬山昇龍覇や、
氷河のシベリアらしいホーロドニースメルチなんかに比べて、
海らしいモチーフの記憶がないのよね。

たとえば津波や台風や流氷やモーゼの十戒みたいな、
海モチーフって記憶がないんだよな。

ネビュラチェーンと同等の、
ワカメチェーン(シーウィードバインドでいいじゃない)
なんかがあっても良かったし、
上位互換でオクトパスストラングルがあっても良かったよな。

ソードフィッシュ(太刀魚)のなんとかが、
シュラのエクスカリバーより切れる、
でも良かったのに。
トビウオ(フライングフィッシュ)のなんとかが、
スカイトリプルダンシングみたいな技を持ってても良かったろうに。

イカやタコモチーフの何かが、
体の色を変えて見えなくなり、
それをセブンセンシズで破ってもよかった。

人魚の声を聞くと死ぬというのが船乗りに伝わるけど、
人魚のなんとかっていたっけ。
セイレーンがいたような。
鼓膜を破って対処するんだっけ。してないんだっけ。
そういう海蘊蓄も欲しかったよね。



こうした、
せっかく海モチーフを持ってきたくせに、
七つの海と戦ってる感じがしないことが、
ポセイドン編が、
「世界が広がった感じがしない」ことの根本だと思われる。

聖闘士は三階層あるが、
海闘士は四階層あり、
最後の最強の7人は、一人で黄金聖闘士二人を相手にできる、
などのような設定で、
インフレしても良かったんじゃないか。

よくよく考えると天球儀(星座)は海より広いが、
それより広いと錯覚させるだけの、
海モチーフのネタの広さがなかったことが、
世界が広がらなかったことなんだろう。

地震を起こすリュウグウノツカイとか、
グロいナマコとか、
クロスが次々に変容していく出世魚とか、
防御最高のシャコガイとか、
左右対称で2人1組のヒラメとカレイとか、
色々できたと思うんだよな。

実はそういうモチーフだったのかな?
英語だったから俺が理解してなかっただけ?

「88星座より広くて深いものと戦っている」
に失敗したことが、
失速の原因だと僕は考えている。


まあ、海モノはよく失敗すると言われている。
その次の冥界編までの繋ぎだったにしては、
ズルズルと長く、
冥界編を思いつくまでに人気を保てなかったんだろうなあ。

そういえば海をテーマにしてるくせに、
なぜ氷河のマーマの船に行かなかったんだろう。
そこを絡めれば面白くなったのに。
(あったっけ?斜め読みだったので何も記憶がない)


冥界編は冥界編で、
古今東西悪魔モチーフとか色々できただろうになあ。

むしろ得意の漢字ネタで、
阿鼻叫喚地獄とか等割地獄とか、色々やればよかったのに。

そもそも死の国のはずなのに、
なぜデスマスクが活躍できなかったのかも疑問。
黄泉平坂はあくまで地獄の入り口だったのかねえ。



車田正美という漫画家は、
プロットの人ではなく、
キャラクターデザイナーの人であるように思う。

キャラクターデザインのネタが、
あまりいいネタがなかったことが、
ポセイドン編失速の原因だったのでは、
と今なら分析できる。

キン肉マンが、悪魔超人のデザインは神なのに、
完璧超人になったらイマイチなのに似ているな。


あと、当時のリアリティラインでは、
ジュリアンソロの財閥が世界を征服したら、
一体どうなるか?に興味が持てなかったことも大きいな。
つまり戦いの大義名分だ。

地上を守るアテナが敗北したら、
世界は海から来た魔神たちに支配されてしまう、
それを阻止しなければ、
というのに、
もう少し感情移入したかった。

○日までにアテナが回答しない場合、
世界を覆うノアの洪水を起こし、
地球の陸地を全て沈める、
とかでもよかったのになあ。


つまり、聖闘士たちが必死に戦う理由が、
全然わからなかったことも、
ストーリーのつまらなさにまともに影響したわけだ。

ストーリーとは行動による結果のことで、
行動には理由が必要だ。
それを劇的動機(劇の上での、という意味の劇的)という。
それが陳腐であっても、
はっきりわかっていた方が楽しめたはずだが、
途中からぼんやりしてた気がする。
沙織さんへのプロポーズ阻止が目的だったわけではあるまい。


これらの、
物語の基本的なものが、
ハーデス編ではすでに崩壊していたので、
僕はまったく興味をもてず、
流し読みしていた記憶がある。
なんだっけ、アテナの血でなんかするんだっけ。
嘆きの壁という固有名詞は覚えてるが、
それがなんだったのかの記憶もない。

死や地獄や悪魔をモチーフにしていないストーリーでは、
全然ハーデスっぽくなかったなあ。

88の星座よりも、七つの海よりも、
地獄は深く地下の迷宮のように広がっているのだ!
ってならないと、
拡大はしないよね。

天空の神ウラヌスは鳥をモチーフに、
時の神クロノスは時計回り?をモチーフに、
全能神ゼウスは神々をモチーフにすれば
(太陽神アポロンの○○、勇者ペルセウスの○○、
地の神ガイアの○○とか)、
さらに拡大感覚は維持できたかもしれない。


拡大しない漫画は、少年漫画ではない。

聖闘士星矢は少年漫画をポセイドン編でやめて、
腐女子にネタを提供する漫画になり、
僕ら少年は裏切られた気になった。
だから切り捨てた。

その後熱狂的なファンは残ったけど、
シャカあたりで熱狂していた僕は、
冷めた目でしか見れなかった。



最終的に星矢は少年漫画たりえたのか。
いずれ原作を読むことで判断したい。




(追記)
とりあえず最終回だけ読んだ。

何も知らない状態だったが、
太陽神アポロンは出たらしい。
オリンポス十二神の名前も見られたため、
「高みへ駆け上がってゆく」
というパターンは踏襲したのかもね。

ただ神殺しまで行かなかったのは、
人間の限界みたいになってて、
それって風魔の聖剣編でも見たなー…

聖闘士星矢のテーマってなんだっけ?
リンかけみたいな、鮮やかな着地をしてなさそうなのは確か。

ラストシーンは墓石で終わるのだが、
あれはアイオロスの「ここを訪れし少年達よ、きみらに女神を託す…」
でいいんだっけ?
車田=アイオロス、少達=後に続く者、
と解釈して車田の遺言と捉えれば良いのだろうか?


テーマなき物語はぐだぐだに終わる。
聖闘士星矢もその中に入ってしまったのだろうか。
posted by おおおかとしひこ at 15:17| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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