リライトをやっていると忘れがちなこと。
リライトを繰り返していくと、
どうしても「それを知っているがゆえの直し」ばかりになってくる。
あとであれがあるから、今これをやっておかなきゃとか、
あれを既に知っているから、これはこうだ、とか。
ざっくりいうと、新鮮さがなくなり、
段取り臭くなってくるということだ。
それが果たして「体験」だろうか?
初めて見る人にとって、新しい経験になるだろうか?
書く側にもいろいろ都合がある。
あれを使おうと思っていたが、事情で使えなくなったとか、
あれをする前にこれをしないといけないとか。
でもそんなの、見る人には関係ない。
初めて見る人は、
初めて見るわけだ。
だから、初めて見ても新鮮でなれけば、
新鮮な体験にならない。
観客は、新鮮さにドキドキしたい、
という気持ちを忘れてはならない。
観客だけではない。
物語の中の、登場人物たちでもだ。
当然なのだが、
登場人物は全員人生一周目である。
この先何が起こるかは知らないし、
初めて人生を生きるのだから、
判断ミスもするし、変な期待もするし、
余計な不安もあるし、
リスクに怖がって安パイを取ることもあるし、
ぎりぎりを攻めない。
ドキドキびくびくしながら人生を生きている。
そんな風に書けているか?
ということを強調したい。
ともすれば、
作者の都合で、
人生〇周目みたいな対応になったりすることが、
稀によくあるということだ。
そうじゃない。
全員人生一周目なのだ。
初めてその人生を生きるのである。
初めてその場面に遭遇するのである。
初めてその対処法を迫られるのである。
知らないことだらけで、知識も教訓も持っていない。
カンでやるしかないし、
分っている人に助けを求めるのだ。
一発で成功するわけがなく、
何度も何度も試すのだ。
情けない。物語の登場人物とは思えない。
しかしそれがリアルというもので、
そのリアリティのある体験を、
皆が欲しがっているのだ。
作者がその物語に慣れるのは構わないが、
登場人物がその物語に慣れてはいけない。
いつも、常に、初体験のようにいなければならない。
だからシナリオには少しの無駄がある。
完璧に詰められた設計図ではない。
その余白が、ドキドキする時間だ。
2024年08月23日
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