2024年07月12日

あらすじは等比率の相似であるべきか

あらすじを800字で書こう。
しかしその時、相似形の800字に縮めるべきか、
という議論はあると思う。


等比率の相似形とは、
800字制限に対して、
前半を400字で書き、後半を400字で書き、
一幕を200字で書き、二幕前半を200字で書き、
二幕後半を200字で書き、三幕を200字で書く、
のような、
本編の分量とあらすじの分量を大体合わせる、
という考え方だ。

あらすじというのは筋を縮めるのだから、
同じ縮尺で縮めたら、
相似形になるはずだ、
という考え方である。

オチまで書く前提ならば、
このような考え方になるかもしれない。
とくにストーリー展開に自信がある場合、
それらの要素をひとつひとつ入れないと、
面白さが再現できない、などと思ってしまう。

だけど、
僕はそうでなくていいと思っている。
「その800字を読んだ時、
まるでその2時間を体験したかのように書くこと」
があらすじの条件ではないかと思っている。

つまり、省略や強調をしてよい、
と考えている。

なぜなら、等比率にすると、
どのパートもぼやけるだけの少ない文章量になってしまうからだ。

重要な前提を説明しようとすると、
200字なんてすぐにかかる。
300字かかるなら、全体の3/8でなくても、
そこにかけるべきではないかと考える。

一幕の前提と二幕のちょっとした展開と、
三幕のテーマに落ちる部分で、
十分じゃないかと思う。
重要な展開、たとえばミッドポイントのかりそめの敗北とかも、
800字から省略して伝わるなら省略してもよい、
とすら考えている。

目的は、
「本編に忠実な縮小形をつくる」ことではなく、
「その800字を読んだら、
まるでそのストーリーを体験したかのような、
ミニ体験を与えること」だと思う。

骨格概要のような設計図がほしいのではなく、
感情がどう震えるのか、が重要だと思われる。


たとえば、今回書いた800字のあらすじは、
全体の骨格をかなり歪曲して、
本質だけを伝えるように書いた。

前提と概要 180字
一幕 340字 (第一ターニングポイント時点で半分超えている)
二幕 120字
三幕 60字
結論 60字

前提がオリジナリティがあるものなので、
そこを丁寧に説明したうえで、
途中の展開をはしょり、最後は勝利するところだけを描き、
結論を前提のペアとして結ぶ形となった。

どのような動機なのかに焦点を当て、
登場人物の設定に感情移入させるようにした。
単純な試合をするので、
その試合展開には焦点を当てず、
その勝利がこれまでの前提にこたえる、
どういう意味があるものなのか、
を解説することであらすじとした。

このように、
等間隔の比率であらすじを書く必要はないぞ、
ということだ。


これをきちんと書くには、
何がこの作品で大事なことなのか、
ひとつだけ伝えたいことはなんなのか、
を把握していないといけない。

たとえ面白い展開があったとしても
(たとえばライバルが実は味方だったとか、
二人で吹雪の中取り残されるとか、
ミッドポイントの大失敗など、
重要なシーンは全てカットした)、
それは枝葉にすぎず、
かなりオリジナルないい場面でも省略するべきである、
という捨てる勇気が必要だ。

ミッドポイントでテーマと真逆の失敗をしてどん底になり、
そこが展開として大きく意味があるのだが、
それも省略して、
テーマだけにフィーチャーした感じのあらすじとなった。


これが完全な正解かは分からない。
だけど、両方のバージョンを書いてみると、
どっちがいいかわかるかも知れない。
あるいは、ストーリーによるかもしれない。


単に等間隔に写像したかのような、
本編の相似形をつくっても、
テーマは弱いし、キャラクターは弱いし、
展開はボケているように見える。

そりゃ3万字もかけて描写したものなのだから、
それが800/3万=3%に縮んだら、
描写も3%の分量になってしまう。
100字が3字になるわけ。
そりゃ文章にはならないよね。

だから、文章として示すには、
ある程度しっかりした文章にするべきなのだ。
しっかりして読めるということは、
その分どこかが捨てられるということである。

その取捨選択があらすじを書くことだ、
と思うとよい。

じゃあ、どういうあらすじがいいんだ?

テーマがわかり、いいねと思えるものが一番だと思うんだよ。
それに各ディテールがどのようにぶら下がっているか、
ということが分かるようなもの、
がいいと思う。


もちろん、プラトンが言ったように、
「それを見る人がまるで本編を見るときと同じような感情を催すように書く」べきだ。
たとえプロットでも、
まるでそのことに立ち合っているかのように、
出来事におののき、悲しみ、喜べるように、
書く必要がある。

だから、ストーリーの伝えるキャラクターの苦しみ、
喜びに同一化できるように書いてあるのが、
ベストだと考える。

そのようになるには、
前提条件と結末が重要だろう。

解決に乗り出す第一ターニングポイントも重要だと思われる。
このような苦しみ、悲しみの中から、
このように解決に乗り出した、
というところが重要であって、
途中ははしょっても構わない。

その結果、このようになった、
当初のこのようなことは、このように解消されたのだ、
ということはこれはこのようなことを意味している、
と暗示ないし明示すれば、
全体のあらすじになると思われる。


このやり方が正しいとは限らない。
ただ、
それがよい文章なら、人の胸を打つならば、
いいあらすじじゃないかと思うよ。

つまりは、あらすじとして正確な文章というよりかは、
この作品を見たときと同様の感動を、
800字でパフォーマンスしてみろ、
という問題だと考えるとよいだろうね。


普段からストーリーの本質とは何か?
を考えていると、
そのように書くと思う。
単に「あらすじを書いてください」だけでは、
難しいのではないか。



もし手持ちのストーリーが今ないならば、
名作の「800字あらすじ」を書いてみるのは、
いい練習になると思う。

ロッキーの800字あらすじを書いてみ?
エイドリアンの分量はどれくらいになる?
ポーリーの分量は?

ラストの「エイドリアーン!」は必須だろうが、
その伏線、
中盤テレビのインタビューで、
「エイドリアン見てるかー?」と、
田舎者丸出しにしたシーンは必要だろうか?

一幕で借金取りとして「指を折ってこい」と、
命令されたことに逆らったシーンはいるか?

色々な選択肢があり得る。

「俺には全盛期はなかった」のシーンは必ずいるだろう。
アイススケートのシーンはいるかな?
色々な考え方があるので、
やってみると僕の言っていることが理解できると思う。


何パターンか書いてみてもいいよ。
等間隔に縮めることに意味がないのは、
分ると思う。
つまり、あらすじも恣意的である。
客観的にただしいあらすじはないと思ったほうがよい。


他人のストーリーならわかる。
自分のストーリーならどうだ?
posted by おおおかとしひこ at 07:42| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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