2024年08月28日

部分は全体の演繹であるべき、全体は部分の帰納であるべき

メインプロットとサブプロットたち、
メインテーマとサブテーマたち、
キャラクターたち、ディテールたち。

これらは、
部分の魂でありながら、
ひとつの魂であるべきだ。


すべてのディテールは、
一なる全体から、
演繹によって導かれたものであるべきだ。

全体がこうなのだから、
その一部はこうであるべきだと。

あるいは、
全体からとある部分Aが導かれたが、
同様に部分Bも導かれるはずであると。
そして、AとBがあるならば、
それらを補完するようにCがあるべきだと。

全体がABCの三つに分解されて、
それらの関係性の中で語ることが可能か、
いや、DEF…も必要であるかは、
全体と部分の演繹の仕方によるだろう。

主人公と対比的なアンタゴニスト
(敵、またはライバルなどの敵対者)が物語に必要なのは、
物語(テーマ)という全体を、
二方向に分けていったら対照的な陰陽になる、
というだけのことだ。

全体を三すくみに分解したほうがテーマがわかりやすければ、
3に演繹するであろう。


逆も然りである。

すべての部分がテーマに帰納的に結合できるか、
ということだ。

そこに仲間はずれXが入っていたら、
A+X+B+C=結論になるのに邪魔では?ということ。
A+B+C=結論になるべき時に、
余計な要素じゃない?ということ。


ラーメンはひとつの宇宙だ。

ラーメンという全体に必要なものは、
必然的に麺とスープと具である。
ここにご飯が入るわけにはいかない。
ラーメンライスならギリセーフだが、
麺があるのに中にライスを入れるわけにはいかないだろう。

ラーメンという宇宙が乱れるからである。

同様に、丼の中にサラダも入らないだろう。
ラーメンからサラダは演繹されないし、
サラダからラーメンを帰納することもできない。



にも関わらず。

あるストーリーの中に、
その宇宙を乱す、白飯やサラダが入っていることが多々ある。

そこに気づかないのは、
まだ全体が見えてないからかも知れない。


作者の地平から見ると、
あるテーマを書こうと思い、
メインプロットを書き始めるのだが、
なんだか上手くいかず、
サブプロットの力を借りようとして、
元の材料とはかけ離れたものを混ぜようとしてしまう。
そのほうが新鮮に見えるからだろうね。

でも水と油が混ざらず、
うまくいかないなあ、と思って、
また混ざらない別のものと混ぜて、
やっぱりうまくいかないや、
となってることが、とても良くあるのだ。

全体と部分の関係を俯瞰できてないからだろう。
部分というパーツを混ぜた時に、
ラーメンにフレンチが混ざってることに気づけないのだろう。
ラーメンにムニエルを混ぜて、
うまくいかないと嘆いているのだ。
ラーメンを捨てるか、ムニエルを捨てるかなのに。


もしムニエルラーメンをつくるならば、
ダシから魚出汁にしたり、
スッキリした冷やしラーメンにしたり、
生姜やミョウガなどの、
魚に合う薬味が必要だろう。
具はマリネになるだろうか?

豚骨醤油、モヤシキャベツにノリの中に、
ムニエルを入れたら、
お互いが喧嘩するだけなのだ。

ムニエルラーメンをつくるならば、
まず全体を作り直さなければならない。
にも関わらず、
「なんか足りないなあ。
よし、カレーを入れてみよう」と、
さらに間違ったものを足すのが、
脚本初心者のやりがちなことだ。

全体を作るために部分を用意してないし、
部分を組み上げたときに、
一つもパーツは余らないし、
必要十分に全部が機能することを、
設計するべきなのだ。


どうすればそれが出来るようになるか?

失敗を繰り返すことである。

バラバラなものを用意してしまったり、
何回煮込んでも混ざらなかったり、
あるものを取り除いたらうまくいったりして、
「最初に必要十分の材料を用意して、
全体から逆算して、
演繹と帰納の関係になる」
経験を積むことである。

ああ、用意した材料は案外使わなかったなとか、
途中で足りなくなって誤魔化したところがバレてるとか、
そういう反省をしながら、
段々上手くなるしかないと思う。


他人の作ったものを見て、
自分ならこの全体に何を用意するかを演繹してみるとよい。
そして部分たちから全体が帰納されるかを見ると良い。

分解と再組立は、
ものづくりをマスターする基本ですらある。

名作をそのように理解したら、
次はオリジナルでやってみて、
上手くいってもいかなくても、
また名作に立ち返り、
バランス感覚を磨くのだ。



つまり、上手な人とは、
この失敗を繰り返して、
上手く出来るまで鍛えた人、
でしかない。

もちろん、才能があれば、
その階段をひとつ跳びに飛べるかも知れないが、
出来ないならコツコツやるしかない。

何本やればいいかな?
それもわからない。

最低三本?
100本やっても出来ない人は出来ないかもね。

出来るまでやるしかないよ。
posted by おおおかとしひこ at 06:33| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

この記事へのトラックバック