2024年08月29日

魅力的なキャラクターとは

魅力的なキャラクターは、
フィクションの物語にしかいないものだ。
現実の、一時の人気の魅力的な人間に対して、
魅力的な架空のキャラクターは永遠に生きる。

魅力的なキャラクターの特徴はなにか。
どうやったら作れるだろう?


まず、顔が良い。

身も蓋もないのだが、
顔が良いのはぶっちゃけ魅力的なキャラクターの前提条件だ。

ただしイケメンに限るを例に出すまでもなく、
不細工なキャラクターは魅力的だと思われない。
というか、評価以前の問題である。

ルッキズムや多様性などと哲学を振り翳したとしても、
顔が良いのは商売になる、
という厳然とした事実がある。

クラスの人気ナンバーワンは、
顔が良いナンバーワンのことである。

とはいえ、
全く同じ方向性での評価軸があるわけではなく、
多数の評価軸が顔の良さにはある。
好みというやつだ。
だから多少不細工でも味があれば、
顔が良いのジャンルに入ることがある。


さて。

あなたは脚本を書くので、
顔を創作する必要はない。
あなたが書いた脚本は、
とくに注釈をつけない限り、
全員顔が良い。

顔が良い芸能人を集めたものが、ショウである。
あなたはショウという興行の台本を書いているのであり、
非資本主義の何かを書いているのではない。

もちろん、
反ルッキズムの特別なショウもあり得るが、
何も注釈がないかぎり、
全員何かしら顔が良いことは、
暗黙の前提であることは、
まず確認しておくべきだ。


で、
架空のキャラクターたちは、
その上で、キャラクター性が問われるのだ。

イケメンたち、女アイドルたちが、
顔が良い前提で、
様々に個性を出してくるよね?

彼らは顔が良い集団の中で、
目立とうと必死だ。
ダンスが上手いとか、作詞作曲するとか、
絵が描けるとか、独特の天然だとか、
特技や特徴で、キャラ立ちしようとするわけだ。

そうやって「キャラをつくる」のである。


あなたのキャラクターは、
どうキャラを作っている?
もちろん、本性はそうじゃないのにキャラをつくる、
という架空のキャラクターはあまりいない。
(本性と仮面のストーリーでない限り)
その架空のキャラクターは、
自然とそのキャラクターになっている。

現実とフィクションの差は、
現実は、
キャラを本人のキャラクターと異なるようなものを、
作っている可能性が高いが、
フィクションのキャラクターは、
ナチュラルでそのキャラ、
ということだ。
(もちろんキャラをつくっている、
本性は別のキャラクターもありえる)

そして、現実にいてほしいのだが、
現実にはいないようなキャラでも、
フィクションにはいることが許される。

つまり、
フィクションのキャラクターとは、
「いてほしい願望のキャラクター」が、
ナチュラルでいることを許される。
現実にそんな人いるわけないじゃん、
を、設定可能なのだ。


なんでそんなキャラがその世界で成立するか?
はある程度考えたほうが良い。

たとえば少女漫画には王子様キャラが出てくるが、
大抵実家が金持ちに設定されている。
貧乏で必死で人を追い落とそうとする環境では、
王子様みたいに天然で余裕のある人格は出てこないから、
王子様キャラに説得力をつくるわけだ。

つまり、
キャラクターというのは、
現実に住んでいたら死んでしまう、
妖精のような概念である。

私たちは概念に恋をして、
概念に励まされて、
概念を応援する。

変なことだろうか?
宗教と同じか?

私たちが漫画に、映画に、小説に、演劇に、
神に夢中になるのは、
概念に夢中になることである。

数学者が数式に夢中になるのも同じだね。
すべて「神!」と呼ばれるのも同じだね。

つまり、夢中とは概念への崇拝なのだ。



概念が概念だとバレてしまわないようには、
リアリティが必要だ。

そしてそのリアリティとは、
地に足のついた「ほんとにいそう」ではなくて、
「その世界の中で実在っぽかったら、
実在する」なんだよね。

「そんなヒロイン、現実にいるわけねえだろ」
という批判ではなく、
「そんなヒロイン、その世界にいるわけねえだろ」
の批判を受けたら存在できなくなるわけ。

だから、
その概念が実在できそうな器=世界を、
作ってあげるんだね。

クリオネという妖精が生きるには、
南極の冷たい水の中という環境が必要だ。

そのように、
創作作者が整えるのだ。


「まあ、そういう人がいるという世界なら、
飲んでやるよ」というのが、
架空のキャラクターの存在基盤なのだ。


さて、あとは、
あなたの願望をたくさん吐き出そう。

こういう人がいたらいいな。
こんな特徴の人がいれば良いのに。
顔が良い人で、こんな人だったら最高なのに。
顔が良くて、こんなことを言うんだぜ。
味のある顔で、こんな人がいるといいなあ。

あなたが男子なら、架空の女子はいっぱい出てくるだろう。
あなたが女子なら、架空の男子がいっぱい出てくるだろう。

逆もやりなさい。
自分の願望があまりないなら、
異性側の願望を研究しなさい。

いたら良いなと思える同性は、
大抵は友達にしたらいいやつ、くらいに考える。

あなたが友達が豊富である必要はない。
こんな友達がいたら学生時代退屈しなかったのに、
という願望で構わない。


架空のキャラクターには、
願望が入る。
概念だからだ。

あとは概念だとバレないように、
リアリティの成分が入ってくる。

そのバランスが、
架空のキャラクターを決める。
そして、キャラ立ちが被ってないようにするだけで良い。


さて。

一人だけではなく、劇団として考えよう。

あなたのストーリーには、
何人のキャラクターが必要か?

劇場映画の場合、
メインは多くても5〜6人、というのが僕の経験則だ。
最低は2人だね。
一人だけ魅力的であとはカスなのは、
つまらない。
二人以上魅力的なのがいれば、輝く。
間に相互作用が働くからだ。

仲が良かろうが、悪かろうが、
そこに「関係性」という別のファクターが入ってくる。

そしてその関係性も、願望である。

Twitterを眺めれば、
架空のキャラクターの架空の関係性の、
願望の見本市を見ることができる。
たいていは百合かBLだが、
それは異性間や異種間にも適用できよう。

そしてこれらにも、それがその世界で存在する、
リアリティが必要である。



つまり、
魅力的な架空のキャラクターとは、
顔が良い前提での、
願望と、
その世界での実在性と、
架空キャラ同士の関係性の、
三つのファクターが必要条件である。

そんなキャラクターが詰まった、
劇団をつくりなさい。



ストーリーに必要なのは、
動機や目的で、
行動や手段や結果や展開である。

それを、Aというキャラが演じるか、
Bというキャラが演じるかで、
まったく別物のストーリーに「見えて」しまうだろう。

たとえばロッキーのストーリーが、
もしアポロとロッキーが逆の人格だったら、
全く別のストーリーになってしまうだろう。

そのキャラクターには、
そのキャラクターに相応しい試練が与えられる。

そういう意味では、
あなたは世界の神である。
人に相応しい試練を与えるのだからね。

そして動いたキャラクターも神と呼ばれる。
つまりあなたは、
神々を動かす神である。

ギリシア神話、北欧神話、日本神話の、
作者と同等の仕事をするのだ。

神話はほんとの?神々の話だが、
あなたは人間のストーリーを描くジャンルに、
いるだけのことである。



なぜ架空のキャラクターは魅力的なのか?

顔が良いからだ。
願望が入ってるからだ。
それが願望すぎないように、その世界でのリアリティがあるからだ。
そして他のキャラと被らず、
関係性のネットワークの中にいるからだ。

そして、
その魅力的なキャラたちが、
動機を持って行動して、苦悩して生まれ変わり、
最後には成功するからだ。

この、
どれもが魅力的だから、
架空のキャラクターは魅力的なのである。


たかが設定シートを作っただけで魅力的にはならない。
物語の中で魅力的なキャラが動くから、
魅力的になると考えるべきだ。



魅力的な芸能人が、
魅力的に見えるストーリーに出演したがるのは、
当然だろう。
そしてそれは、台本に書いてある。
わたしたちはそれを書く。

ただ活躍場面だけを書くわけではない。
人間の魅力は活躍場面以外にも無数にある。



あなたのストーリーが、
ただストーリーを追うだけになってしまってないか?
フィクションにしかないもの、
架空のキャラクターの魅力を最大限に引き出しているか?

魅力的なキャラたちに相応しい試練を与えているか?
そして行動する際に魅力が際立つか?
結果を受けて魅力が増すか?
ということだ。
posted by おおおかとしひこ at 07:16| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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