僕が競技タイピングにあまり興味がないのが、
競技タイピングが速度を一定に保とうとすること
(正確には、そうすると速くなる)かな。
実戦、つまり自分の文章を書いていくときは、
まったくそうではないからだ。
思考はムラがある。
解像度の高い部分の思考と、
低い部分がある。
解像度の高い部分は、
長文で、速く書けるだろう。
逆に解像度が高すぎて、
言葉の微差に迷い、却って遅くなる場合もあろう。
解像度の低い部分は、
うんうん唸りながら書くことになる。
よくわかってないからだ。
逆に、無意識にそうだと思い込んでいる、
解像度の低いところは、
立ち止まらずに一気に書いてしまうかもだ。
書くとは、
これらの連綿とした何かを、
「等速度で読めるように変換したもの」
だと言える。
等速度で文が読まれる用に、
ムラのある思考がうまく写像されたものが、
「書かれた文章」であると。
ということは、
その読まれる平均速度よりも、
速く打鍵されたところと、
遅く打鍵されたところがある。
思考のムラの部分だ。
薙刀式は、
そのムラに沿って書きやすいように、
作られていると感じる。
指のリズムが、
話題の語ではバラバラ(ランダム)で、
繋ぎの語では高速だからだ。
個々が速いか遅いかはその時々のワード運みたいなものだが、
それらを繋いで処理して文章化するところを、
最速のアルペジオなどで処理できる。
ここが、思考を文章化しやすい、
理由ではないかと考える。
競技タイピングとは異なる速度観だ。
競技タイピングでいえば、
問題文の出る速度や量が一定じゃない、
みたいな競技をやってるからね。
私たちは漁師みたいなもので、
魚群が来れば高速処理したいし、
来なければコツコツ進むのみだ。
競技タイピングは工場のライン工みたいなことだ。
一定に来るものを、
いかに速く処理するかを競っている。
つまり、
近代スポーツが産業革命と同じ世界観を持ってる、
みたいなことかもね。
書くこととは、
歯車が一定間隔で回ることを前提にしない、
近代以前の狩りの世界の話だと思う。
だから、
競技タイピングに僕は夢中になれない。
サンドバッグ打ちよりも、
相手と格闘する能力を磨きたい。
もっとも、サンドバッグは、
格闘技の基礎練でもある。
でもサンドバッグで記録を達成しても、
実戦が強いわけじゃないしね。
新配列は速い。
qwertyローマ字より速い。
ただ、qwertyのサンドバッガーが、
新配列のサンドバッグより速いだけなのだと考える。
新配列は実戦で速いのだが、
サンドバッグ打ち専門家には負ける、
と僕は考える。
だから、qwertyローマ字での、
自由文が見たいのよね。
KIHでは三人のタイパーの自由文を記録できたが、
競技でのタイパーと新配列ほどの開きがなかった。
たしかに競技タイピングを鍛えることは、
実戦でも速くなることに寄与するが、
それ以上に、
効率の良い配列に変えることが、
実戦速度をあげる、
といっても過言ではない。
とくに薙刀式は、
繋ぎの語が最速なので、
実戦最速候補の一つと言っても過言ではない?
残念ながら、
新配列系で自由文が速かったのは、
tomoemon-AZIKと薙刀式くらいであった。
使い手が限られてるから、
層が薄いことも原因であろう。
親指シフトや新下駄や飛鳥で、
1500字(変換後)/10分くらいで書いてる人は、
世の中にいると信じたい。
実戦の文章とはどのようなものであるか、
そこでそれを書くことをどのように効率化するか、
について、
様々な新配列の理論があろう。
とにかく競技で速ければ速いはずだ、
とqwertyやJISカナの人は考えるだろう。
薙刀式は繋ぎの語で最速化することを考え、
新下駄は統計的平均的に最速化することを考え、
飛鳥は清濁別置と連続シフトで指を繋げることを考え、
新JISや月は左右交互でコンスタントに進むことを考えた。
いろは坂は全面単打で最速化して、
漢直なんて漢字変換を捨てることを考えた。
指や言葉の相性も、それぞれの新配列にはあろう。
最速はまだ決まっていないが、
もっと速い実戦文動画を見てみたい。
ムラのある思考を、
結果的に最速に書くには、
どのような方法論があるかを、
知りたいのだ。
親指シフトで1500を見たい。
qwertyで1500や2000を見たい。
フリックで1500書く人いるのかな。
今のところ、
自由文で2000到達した人はいない。
そのノウハウを開発したいが、
僕はまだ1500近辺でうろうろしている。
文章を書くというのは、
一方通行の垂れ流しではなく、
書かれたことからフィードバックされてさらに思考が進み、
次の文章を産むことの方が多い。
その感覚が、僕にはqwertyには希薄に見えるし、
薙刀式には濃厚にあると思う。
僕にないだけでqwertyが母国語になってるレベルだとあるのかしら。
そこの所も議論してる人がいないので不明だ。
手書きでは、
明らかに書いた感覚からフィードバックがあり、
次の文を促すような感覚がある。
ひょっとしたらこの感覚を持ってる人が少なく、
少ないからqwertyにそれがなくても問題ないのかもしれない。
ないのが僕には大問題で、
だからこれだけ騒ぎ、
その感覚がある薙刀式をつくったのだが、
そのことすら議論にならないくらいに、
qwertyはぞんざいに扱われている可能性はある。
ということで、
qwertyから受けるフィードバックが、
次の文を呼んでくる感覚がある人は、
それがどのような感じか聞きたいです。
「手が派手に動くから運動体験として楽しい」
という話は聞いたことがあるが、
そんなん短距離やん、長く続く思考は無理やん、
と感じています。
今日も僕は薙刀式で文章を書く。
一息ついたり、猛烈に書いたりして、
等速で読むべきものにしあげている。
これを効率化する方法は、
もうないのだろうか?
他のやり方を知りたい。
2024年07月14日
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