2024年09月03日

世に出るのは上澄み

一本だけ書ききって、それがデビュー作になる人はほとんどいない。
たいてい10本とか少なくとも数本は書く。

なぜか?
それだけの対処力がないと、
毎回一定水準のものが書けないからである。


脚本というのは、
あまりにもいろんなスキルが必要なジャンルだと僕は思っている。
ストーリーづくりは大変奥が深く、
分った、できるぞ、と思っても、
すぐに遠ざかっていく魔物である。

その猛獣のようなものを、
「ある程度制御できる」と確信するまでに、
何本書かなければならないか。
ある程度制御できる、ということは、
どんなストーリーでも、
水準以上に仕上げることが出来るという自信や確信のようなものだ。


逆に、一本だけ書いて、
次も同じだけのクオリティ、
次は今回以上のクオリティ、
次の次はそれ以上のクオリティ、
と、どんどん上がっていくようになるか?

ならないと思うんだよな。
ビギナーズラックは確かにある。
しかし、何本も書けば書くほど、
2本目や3本目なんて、
たいていつまらないんだよね。
1本目はましだったが、
2本目3本目でつぶれる人は、
あとを絶たないと思うわけ。

だから、
2本目3本目……10本目が本番だと思うんだよな。
だから、それくらい書いてやっとデビュー、
みたいに思っておくとよい。

ジャンプの賞を獲っても、
すぐにデビューする人はいない。
それを膨らませたらつまらなくなったり、
別の企画を出してもつまらないものしか書けない、
なんてことはざらにある。

ビギナーズラックを使い終わったあとに、
次もおもしろくなるようにならなければ、
プロになれるとは言えないのだ。
(もっともジャンプとかだと、デビューでヒットして、
そのまま使いつぶす、というのはよくあることだが)

逆に、プロに必要な能力とは、
何本書いても一定水準はクリアすること、
ということだと思う。
その平均というか、最低水準が、
あなたの本当の実力なのだ。

明日から本気だす、
なんて言っている人は、
その「自分が思っているよりも、
自分が書くものがつまらない」ことに、
気づいてしまった人だと思う。

あるいは、
「1本目は書けたかもしれないが、
2本目、3本目になればなるほど、
つまらなくなることが分かっているから、
俺は1本目だけが実力であるといいたい」
とかだ。

自分の平均打率を知りたくないやつが、
本数を書かないのだろう。


平均打率は、
どんどん下がっていくのではない。
書けば書くほど、わずかずつ、
上がっていくと思う。
もちろん、落ちたり上がったり、
変動はあるものの、
本数を書けば書くほどうまくなるので、
平均打率は上がる傾向にある。

それは、技術がついてきたということだ。


何本書けば技術がつくかは、
経験的にわかっていない。
小説の世界では3本(30万字)書けば大体いける、
という風に言われている。
脚本の世界では、原稿用紙で、背の高さになるまで、
という風に言われている。
昔のCM業界のキャッチコピーは、
段ボール2箱、と言われていた。

それくらい、色んなパターンを書いて、
書きつぶして、
自分の「どんな場面がきても対処できる力」を、
身に着けないと、
「どこに出しても面白いものを書く」というプロは、
出来ないということだ。


僕は、長編シナリオは最低3本、
ものになるのは5〜7本くらいだと思う。
10本書かないとだめな人もいるかもだし、
50本の人もいるかもしれない。
それは人によるな。


一本だけアタリを引ければ勝ちの世界ではない。
何本も何本も書いていく世界だ。
あなたが一生かかって書く脚本は何ページか分からないが、
そこに至るまで、無限の没が埋もれている。

いつかそれを短編集などとして、
僕は記録に残したいと思っているが、
大岡記念館が出来ないとそこには残せないだろうなあ……
(もともとこのブログはその目的としてつくったのだが、
CMのコンテを公開するのは御法度らしいので作品置き場にはほとんどなにもない)



ということで、
世に出るものは、上澄みだけである。
上澄みの下に、失敗作、習作が、
沢山沢山眠っている。

それを全部キレイに取っておきなさい。
それらを全部超えたときが、
デビューだ。
posted by おおおかとしひこ at 09:21| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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