2024年09月06日

ストーリーラインは何本必要か

難しい問いだ。

少ないほうが内容に集中できるだろうし、
多いと混乱する。
しかし少ないと内容が薄く感じて、
多いと分散してしまうだろう。


映画における登場人物の数は、
僕は経験的に5〜6人が適切だと考えている。

人間はそんなに多くのものを同時に認識できないから、
3以上はたくさんになる。
その中でも区別がつくのは、
多くても5〜6人が限界だろう、ということだ。

その文脈で登場すればわかるキャラクターも、
別の場所で会えば分らない、ってことはある。
その人をその場所限定で認識していることもあるわけ。
(よく行く飯屋の親父に外であいさつされても、
誰だっけ?になる現象)

だから、独立した、どの場所に出てきても問題ない人を、
メインとして考える。
飯屋でしかでて来ない親父とか、
病院でしかでて来ない医者とか、
そういうキャラクターは除外していくとしよう。
それらは脇役である。

となると、
5〜6でも多いかもしれない。
急に捌くのが難しくなるかもしれない。
だから、最初は3でやるのがいいかもだ。
2じゃ足りない。それじゃセカイ系になってしまう。
物語の動的な運動には2じゃ足りなくて、3は必要だ。



前に書いた話の例を。

当初書こうとしていたとき、
話を思いついた時には、3本のストーリーラインであった。
メインプロット、プライベートのサブプロット、
ヒロインのプロットがあったのみだ。
これで映画になる、と当初は思ったのだったが、
書き始めると、全然足りないということに気付く。

次何していいか分らず、
書くことが止まることも良くあった。
あとあと考えれば、ストーリーラインが足りていなくて、
3本じゃ表現しきれない、
ということに気付くべきだったのだが、
それは実際に書くまで思いもよらなかったのだ。

で、登場人物が途中から増えるにつれて、
それぞれのプロットラインをつくらなければならない、と気づく。
彼らの目的が明らかにすれば、
彼らの目的を果たすための行動がストーリーを編む、
ということに気付いたからだ。

最終的には、
3本あったものに3本足して、
6本になったらうまく行った。
メイン登場人物は5人になった。
主人公とヒロインには2本のストーリーライン
(ざっくり、仕事とプライベート)を持たせると、
うまくいった。
サブの5人目には1本というほどのラインを与えず、
適宜登場してもらっておいしいところだけ、
という感じのバランス。

おそらくだけど、
メイン登場人物に各1本ストーリーラインを与えると、
大体うまく行く。
ただし、1本に数えるほどでもないラインもあるかもだ。
(設定と結果のみのやつなど)
そうでなければ、
そのキャラクターは、ただ出てきただけの人形になりがちだからね。
「そこで生きている」からには、
目的があり、苦労したり絶望したり喜んだりする必要がある。
その人物独自の目的を果たすことが、
その人の生きる意味になるわけだ。

つまり。
映画的ストーリーというのは、
主人公と敵対者のストーリーではなくて、
メイン登場人物全員のストーリーの編み物ということになる。
もちろん、軽重はあり、
メインほど分厚くなっているだろう。

で、それらがランダムに配置されているのではなく、
必然性で結び付けられているものが、
きちんとつくられたストーリー、ということになる。

何かと何かは対比的だったり、
補完的だったり、
相いれないものであったりするわけ。

それらの組みが、映画的ストーリーを構成する、
といっても過言ではないと思う。


映画的脚本論では、
これらの捌くことがむずかしいことへの言及を避けて、
主人公と敵対者のストーリーくらいに、
次元を下げて解説することが多い。

でもそれじゃあ2時間は書けないと思う。
2時間を書くには、
5〜6人程度のメイン登場人物のストーリーラインを並行して走らせて、
時々絡み合いながら、
ラストまでたどり着くことが必要じゃないかと思う。


もし、あるストーリーを思いついたのだが、
それが完結まで書けない、という状況があるならば、
それはストーリーラインが足りてないから、
かもしれない。
(逆に多すぎる、という可能性もある。
王位継承編のハンターハンターみたいに、全部捌くのは無理やろ、
というのもある)
メイン登場人物は何人いるのか、
ストーリーラインは何本あるのか、
ということをチェックしてみるといいだろう。

大抵、
最初に思いついたときがストーリーラインが足りなくて、
足りないがゆえに書けない、となっているパターンだろう。
そういう時は増やすとよい。
テーマを補完しあったり、対照的になるプロットがあるとよい。

逆に、
色々思いついてしまって足しまくり、
ストーリーラインが多すぎて、
それらをぜんぶ入れようとした結果、
どのストーリーラインも味わうには足りない、
というものがつくられている可能性もある。

これは思いついた当初ではなく、
リライトを繰り返していくうちに、
どんどんたまっていったことが多いだろう。

そういう時は、ストーリーラインを削るのだ。
ラインを削るのが難しいならば、
登場人物を減らすとよい。
そこにその人物を配さずに、
名前もはく奪して、ただのエキストラにしてしまうと、
減らすことができるよ。
店員とか、医者とか、男Aなどにしてしまうと、
急に前景から後退して、
代わりに大事なものが前景に来るだろう。
そうしたら、そのストーリーラインをおもしろく、
重要にするための隙間ができるわけだ。


3本じゃ足りない。
4本、5本、6本つくろう。
6は多いかもな。縮小しよう。
5も多いかも、と思ったら縮小してもよい。
その物語が何本のストーリーラインで表現するのが必要十分かを、
事前に計算することは無理だろう。
書きながら考えるしかないのだ。

これはプロット段階で気づくだろうか?
なかなか難しいのではないか。
そこまで事前計算してプロットを書くことは、
難易度が高すぎるような気がする。

執筆の段階で、
足りないならば書き足していく、
という覚悟が必要になるね。



当初書こうとしていたプロットに、
ヒロインのサブプロットを加えたら、
話が滑り始めた。
それで書き終えたのだが、
物足りず、
ライバルのサブプロットを加えたら、
話が締まった。
そんな風に、
稿を改めるたびに、調整をしていくこともあると思われる。

最初から完璧なストーリーを書くことは出来ない。
書きながら修正していくのが良いと思う。



困ったらニューキャラ、というのはひとつの真理であるが、
それがテーマと関係ない場合、
メインプロットと関係ないから、
ニューキャラが出てきても面白くならないと思う。
ただのごまかしで、15分もすれば飽きると思う。
そうじゃなくて、
骨格に関係しなければならない。
posted by おおおかとしひこ at 08:03| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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