縦と横のメソッドと、ビートシートは共存しうる。
ていうか、ビートシートとか三幕構成とかは、
縦と横のメソッドのたかが縦軸だけしか扱っていない。
構成理論は、
これまでは尺で全体を分割してきた。
一幕:二幕:三幕を30分:60分:30分にしろ、とか。
○分で○○○なことが起こる、とか。
僕はずっと構成理論が使える、
と思いつつも、
たいして使えない、
ということに気づいていた。
構成理論が使えるのは、
「すでにだいぶ出来ているものの、
過不足を調整する時」ではないかと思う。
しかもこればかり気にしていると、
「○○までを○分に収めなきゃ、
各シーン2行ずつ切ったけどまだ1分足りないよう」とか、
「尺に収めることが第一目的になり、
面白いもののためにざっくり切ったり足したりする改造をしなくなる」
傾向になってくることに気づく。
本末転倒である。
目的はおもしろい傑作を作ることにあるはずで、
構成理論の尺を厳密に守ることにはないはずだ。
しかもテレビと違って、
映画は厳密な尺を決めていない。
自由で良いのだ。
なのに、数分の数字を守るために神経をすり減らすのは、
何も意味がないとすら思う。
構成理論の奴隷になっている。
しかも、構成理論はおもしろさの必要十分条件ではない。
ヒットした映画は大体この法則にあてはまる、
という経験則にすぎない。
ヒットしたら必ずこうだった、とか、
こうしたら必ずヒットした、ではないのだ。
あくまで緩いアタリを引く方法、であり、
おもしろさの本質を解説するものではない。
でも「この秘密の設計ルールを守れば、
キミも脚本が書ける!」なんて思わせるのがうまいので、
初心者はついついそれを金科玉条のように使いがちだ。
僕は、構成理論は、所詮は時計だと思ってる。
何時何分に待ち合わせね、くらいだと。
多少遅れたり早く着くことはあるが、
30分はずれすぎ、ぐらいの感じ。
1分遅刻したからって、これからのデートの楽しさは変わらないよ。
それよりも、
どんな内容?のほうがはるかに重要じゃない?
ということで、
僕は昔からずっと、ストーリーの構造を可視化するための、
方法論を模索してきた。
で、突然出来たのが、縦と横のメソッドなわけ。
これを見ていると、
ストーリーラインたちの関係と、
時間順に何が起こるかと、
全体のバランスを視覚化できる。
そして縦を正確に120等分すれば、
何分に何が起こってるかも、
正確に書き込むことができる。
僕は1分単位はどうでもいいので、
大体15分あたりを区切りに考えている。
で、
構成理論やビートシートとは、
縦と横のメソッドでいうと、
上下の伸び縮みのことしか言ってねえな、
なんて思ったわけ。
何分に何が起こる、というビートシートだって、
縦方向の時計のことしか言ってない。
サブプロットたちや、それらの交錯について、
何も限定していないので、
横軸について何も語っとらんな、
と気づいてしまったのだ。
少なくとも、
縦と横のメソッドは、
従来の構成理論の上位互換だ、
などと、ぼーっと眺めてて理解した。
ここの分量を調整したいな、
と構成理論的に思うならば、
縦と横のメソッドで描かれた全体を見て、
何を減らすべきか、
何を増やすべきか、
減らしたら何が起こるか、どう影響を受けるのか、
増やしたら何が起こるか、どう影響を受けるのか、
みたいなことを、
想像しやすくなるだろう。
その上で、試しに切ってみる、増やしてみる、
などのような、
本質的な直しの検討ができるな、
という意味で、
このメソッドは優れているぞ、
と気づいた。
三幕構成理論は強力な道具だけど、
だから何?でしかない。
おもしろいストーリーの必要十分条件ではないことを、
この表を見ながら考えると良い。
2024年08月21日
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