2024年09月07日

レベルの高い話ってどういうことだろう

「人がつくったと分かってても夢中になってしまう話」
のことではないかと思う。


リアリティを追求しすぎるべきではないと僕はいつも思っている。

我々はドキュメント制作者ではない。
フィクションの制作者である。
どうやってもつくりごとなのだ。
だから、
「つくりものと知っているのに、魂が奪われるもの」
が、理想のフィクションだと僕は考える。

所詮つくりものかよ、とバカにされるフィクションなど、
レベルが低いものに過ぎないのだ。

所詮嘘だと分かっているのに、
いつの間にかそこにしかないリアルを見てしまうものが、
理想じゃないかな。

レベルの高いキャバ嬢、
生き物のような人形、
そんな感じのものかな。

つくりものだと分かっているのに、
まるでそこにあるほんとうのように思えるもの。
それが、完璧な話ではないかと思う。

もちろん、
構成が完璧とか、キャラクターの配置が完璧とか、
伏線と解消が完璧なタイミングとか、
陰陽のバランスや、
笑いとシリアスのバランスが完璧とか、
あり得る。
しかしそれはつくりものとして分析して、
完璧な形をしている、というだけに過ぎない。
黄金比が出来ている、というだけのことのような気がする。

そうじゃなくて、
さらにその先とは、
まるでほんとうの命がそこにいるように見えるもの、
だと思うんだよな。


あり得なさそうなシチュエーションなのに、
もしかしたらあるかも知れないというシチュエーション、
ほんとうにあり得そうなリアクション。
それだけじゃなくて、
ほんとうに生きているかのような、
線の生き方。
「ほんとうにはこんな人存在しないんだけど、
ここの世界にはほんとうに存在してそう」が、
理想の完璧だと思う。


それは、技術で再現可能なのか?

僕は無理だと思っていて、
それってセンスみたいな、よくわからないものだと思っている。
黄金比的なものまでは技術で行けるが、
その先の、完璧なフィクションというものは、
センスが必要なんじゃないかな。
(技術で到達できない部分をセンスとよんでいて、
いつかその部分は技術の進歩で技術の領域に入るかもしれないが)

技術を頑張って磨いてきても、
天才に最後は負ける。
少年ジャンプの展開のようだね。


それでも、一瞬ならば、センスが輝くこともある。
たまたま時代とかみ合えば、爆発が起きることもある。

たとえば鬼滅の刃は昭和ならば無視されるレベルの漫画だけど、
たまたまコロナとアニメと、他の漫画に恵まれなかった、
エアポケット的な環境が生んだヒットのように見える。
すなわち天地人が揃った、ともいえるね。
それってもはや運だ。
じゃあ善行でも積んでおくことだ。


完璧な話の、唯一の必要条件があるとすると、
結末が完璧であることだろうか。
落ちが完璧になれば、
完璧な作品と言われるかもしれない。

結末が完璧とは、
これ以上あり得ないくらいのハッピーエンドで、
色々な劇中の複雑な不幸をぜんぶひっくり返すような、
完璧な幸福が訪れることではないだろうか。
そのことによって、テーマが確定して、
まるでそれが最初から準備されたかのように、
ぴたりと最後のピースが収まるように、
終わることじゃないかな。


完璧な人生とは何か?を考えると、
何か条件がみつかるかもしれない。
多分黄金比じゃないと思うんだよな。
完璧な死をもって人生が完結することのような気がしている。

人生の疑似体験として、
完璧な人生とは何かを考えることは、
完璧なフィクションを考えることに、
役に立つかも知れない。
posted by おおおかとしひこ at 09:23| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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