「人がつくったと分かってても夢中になってしまう話」
のことではないかと思う。
リアリティを追求しすぎるべきではないと僕はいつも思っている。
我々はドキュメント制作者ではない。
フィクションの制作者である。
どうやってもつくりごとなのだ。
だから、
「つくりものと知っているのに、魂が奪われるもの」
が、理想のフィクションだと僕は考える。
所詮つくりものかよ、とバカにされるフィクションなど、
レベルが低いものに過ぎないのだ。
所詮嘘だと分かっているのに、
いつの間にかそこにしかないリアルを見てしまうものが、
理想じゃないかな。
レベルの高いキャバ嬢、
生き物のような人形、
そんな感じのものかな。
つくりものだと分かっているのに、
まるでそこにあるほんとうのように思えるもの。
それが、完璧な話ではないかと思う。
もちろん、
構成が完璧とか、キャラクターの配置が完璧とか、
伏線と解消が完璧なタイミングとか、
陰陽のバランスや、
笑いとシリアスのバランスが完璧とか、
あり得る。
しかしそれはつくりものとして分析して、
完璧な形をしている、というだけに過ぎない。
黄金比が出来ている、というだけのことのような気がする。
そうじゃなくて、
さらにその先とは、
まるでほんとうの命がそこにいるように見えるもの、
だと思うんだよな。
あり得なさそうなシチュエーションなのに、
もしかしたらあるかも知れないというシチュエーション、
ほんとうにあり得そうなリアクション。
それだけじゃなくて、
ほんとうに生きているかのような、
線の生き方。
「ほんとうにはこんな人存在しないんだけど、
ここの世界にはほんとうに存在してそう」が、
理想の完璧だと思う。
それは、技術で再現可能なのか?
僕は無理だと思っていて、
それってセンスみたいな、よくわからないものだと思っている。
黄金比的なものまでは技術で行けるが、
その先の、完璧なフィクションというものは、
センスが必要なんじゃないかな。
(技術で到達できない部分をセンスとよんでいて、
いつかその部分は技術の進歩で技術の領域に入るかもしれないが)
技術を頑張って磨いてきても、
天才に最後は負ける。
少年ジャンプの展開のようだね。
それでも、一瞬ならば、センスが輝くこともある。
たまたま時代とかみ合えば、爆発が起きることもある。
たとえば鬼滅の刃は昭和ならば無視されるレベルの漫画だけど、
たまたまコロナとアニメと、他の漫画に恵まれなかった、
エアポケット的な環境が生んだヒットのように見える。
すなわち天地人が揃った、ともいえるね。
それってもはや運だ。
じゃあ善行でも積んでおくことだ。
完璧な話の、唯一の必要条件があるとすると、
結末が完璧であることだろうか。
落ちが完璧になれば、
完璧な作品と言われるかもしれない。
結末が完璧とは、
これ以上あり得ないくらいのハッピーエンドで、
色々な劇中の複雑な不幸をぜんぶひっくり返すような、
完璧な幸福が訪れることではないだろうか。
そのことによって、テーマが確定して、
まるでそれが最初から準備されたかのように、
ぴたりと最後のピースが収まるように、
終わることじゃないかな。
完璧な人生とは何か?を考えると、
何か条件がみつかるかもしれない。
多分黄金比じゃないと思うんだよな。
完璧な死をもって人生が完結することのような気がしている。
人生の疑似体験として、
完璧な人生とは何かを考えることは、
完璧なフィクションを考えることに、
役に立つかも知れない。
2024年09月07日
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