2024年09月21日

設定とキャラのバランス

設定が重要なのか、キャラが重要なのか、
結局はバランスだ。


設定とは世界設定とか、事件と解決などを言うことにしようか。
そのゆりかごの中で、キャラが動くわけだ。
キャラの性格や動機、癖や設定などなど。
どういう魅力を持っているか、過去、なども含む。

僕はメディアによってバランスが異なると思っている。
映画は設定のほうがキャラよりも重要だと思う。
最悪キャラは役者のアドリブでつけることも出来るから、
ストーリーの根幹に関わるものをつくったほうがよい。

連続ものはキャラが引っ張る。
最初の引き込みは設定が担当するが、
「その後が気になる」のは、
事件の行く末が気になるのではなく、
「あいつらがどうなる?」の、
キャラの行く末だと思うんだよな。

これは、「漫画はキャラ」と言われる経験則とも合致する。
長いこと楽しむ漫画は、
キャラで引っ張るべきであり、
事件や設定で引っ張り続けるには長すぎる、
ということだと思うわけだ。

一方、長編漫画に比べれば一瞬で終る、
映画や単発ドラマは、キャラよりも設定を重視したほうがいいと思う。

連続ドラマといえども、
最近は1クールで終るから、
キャラよりも設定なんじゃないかと思うが、
そもそもドラマは設定よりもキャラ(というか芸能人)が重要、というと、
ドラマ畑の人に怒られるだろうか。
昔ながらの、
半年の2クール(朝ドラ)や一年の4クール(大河)などでは、
設定よりもキャラのほうがはるかに重要な気がする。
3カ月の1クールよりもだ。

これは、
設定に触れるよりもキャラに触れている時間のほうが、
長いからではないかと思う。
脚本に占める時間がちがうということだ。

映画だと、2時間しかないから、
連続ドラマに比べて、設定寄りになる、
ということだと思う。

ネットフリックスなどでも、
同じ法則があると思う。
キャラクターに感情移入して、
キャラクターを追いかけることになるだろう。

逆に、
映画より短い尺のもの、
単発の1時間やショートドラマなどでは、
設定のほうが重要だろうね。
ものごとのキレが重要で、
キャラクターを描いて、
キャラクターに引っ張ってもらう分量は少ないだろう。


なので、
2時間という映画脚本は、
絶妙に、設定とキャラクターがせめぎあう分量なんじゃないかと思われる。

映画が特別難しいのは、
キャラクターを描くには短すぎ、
設定だけで埋めるには長すぎる、
というバランスによるものじゃないか、
と僕は考えている。

ドラマ向きの人と、映画向きの人が脚本家にはあるとして、
設定とキャラクターと、どっちが得意か、
で分類するとわかるかもしれないね。


あなたの脚本は、
どちらが長所でどちらが短所だろう?
設定が弱いのか? キャラが弱いのか?
設定が強いのか? キャラが強いのか?

両方を強くしないと、
たぶん印象に残る脚本には、ならないんじゃないか。

短編でも、キャラを立てて印象に残すことは出来る。
連続長編でも、設定を立てて事件と顛末を印象に残すことは出来る。
あとはバランスだ。

設定とキャラクターのバランスを考えたことがないならば、
考えてみると分かりやすくなるかもしれない。


以前書いた話は、第一稿が設定に偏っていたので、
第二稿でキャラクター性を足して、
いい塩梅にした。
今構想中の話は、コアの設定が面白いので、
他の設定を考えずに、
先にキャラクターを掘っているところ。
トンチキな設定に巻き込まれるキャラクターの面白さを狙っている。

得意と苦手を意識して、
あるいは役割を意識して、
俯瞰的に評価してみよう。

posted by おおおかとしひこ at 12:18| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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