2024年09月24日

とんでもないことを考えよう

とんでもない思想を考えよう。
一見気ちがいの思想だ。
しかしそれがとても大事なことに裏打ちされていたとしたら、
世間が理解したら、世間は変わっていくのではないか?


ある種の哲学や発想やアイデアは、
このようにして伝播していったはずだ。
最初は気ちがい扱いされ、
嘲笑され、
反発されただろうが、
それが科学的に正しかったり、
一見常識と反するが、実は深遠に正しいことが分ったりすれば、
世間は理解し、手のひらを返すだろう。

そのような、気ちがいの発想というか、とんでも思想を考えることができるだろうか?

もちろん、真実にそうでなくてもよい。
嘘でもいいし、適当でもよい。
ただし、
そのストーリーを見ている間は、
それが本当かもしれない、
というものを、だ。


それがとんでもであればあるほど、面白いだろう。
突飛であればあるほど、常識と異なるからだ。
そして、それが本当かもしれない、と思えれば思えるほど、
面白いだろうね。

映画はそれが出来る。
嘘を一つ混ぜられるからだ。
その嘘をそのとんでもを成立させるために使えば、
おそらくその常識外れの何かは、
リアリティをもって成立させられるのだ。

ひとつだけ前提を崩せば、
それは存在しえる、というまで煮詰めれば、
そのとんでもはうまく行くのだ。

熱力学第二法則が成り立たない、と設定すると、
永久機関をつくることができる。
そんな風にして、永久機関のある世界をつくっても良いわけ。
物語というのはそういうルールのもとに運営されている。

もちろん、詐欺や陰謀論は、
現実に即していない何かを前提に加えて、
あるいは一つ無視して、
成立しているふりをしている。
優れた物語作家は、
そうしたものの一つや二つを捏造することは簡単なはずだ。


というわけで、
なるべくとんでも理論、とんでも哲学を考えよう。
そしてそれが成立する世界を考えるのだ。
世間は疑い、反発するが、
次第にそれが真実らしいとわかってきたとき、
変化してゆく。

それが物語というものだ。
疑似科学や宗教と、じつは同じ軌跡をたどるんだよね。
そしてフィクションの物語は、
それがとんでもであればあるほど、面白いんだよね。
posted by おおおかとしひこ at 08:53| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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