とんでもない思想を考えよう。
一見気ちがいの思想だ。
しかしそれがとても大事なことに裏打ちされていたとしたら、
世間が理解したら、世間は変わっていくのではないか?
ある種の哲学や発想やアイデアは、
このようにして伝播していったはずだ。
最初は気ちがい扱いされ、
嘲笑され、
反発されただろうが、
それが科学的に正しかったり、
一見常識と反するが、実は深遠に正しいことが分ったりすれば、
世間は理解し、手のひらを返すだろう。
そのような、気ちがいの発想というか、とんでも思想を考えることができるだろうか?
もちろん、真実にそうでなくてもよい。
嘘でもいいし、適当でもよい。
ただし、
そのストーリーを見ている間は、
それが本当かもしれない、
というものを、だ。
それがとんでもであればあるほど、面白いだろう。
突飛であればあるほど、常識と異なるからだ。
そして、それが本当かもしれない、と思えれば思えるほど、
面白いだろうね。
映画はそれが出来る。
嘘を一つ混ぜられるからだ。
その嘘をそのとんでもを成立させるために使えば、
おそらくその常識外れの何かは、
リアリティをもって成立させられるのだ。
ひとつだけ前提を崩せば、
それは存在しえる、というまで煮詰めれば、
そのとんでもはうまく行くのだ。
熱力学第二法則が成り立たない、と設定すると、
永久機関をつくることができる。
そんな風にして、永久機関のある世界をつくっても良いわけ。
物語というのはそういうルールのもとに運営されている。
もちろん、詐欺や陰謀論は、
現実に即していない何かを前提に加えて、
あるいは一つ無視して、
成立しているふりをしている。
優れた物語作家は、
そうしたものの一つや二つを捏造することは簡単なはずだ。
というわけで、
なるべくとんでも理論、とんでも哲学を考えよう。
そしてそれが成立する世界を考えるのだ。
世間は疑い、反発するが、
次第にそれが真実らしいとわかってきたとき、
変化してゆく。
それが物語というものだ。
疑似科学や宗教と、じつは同じ軌跡をたどるんだよね。
そしてフィクションの物語は、
それがとんでもであればあるほど、面白いんだよね。
2024年09月24日
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