現場のTIPSみたいなものだけど。
余計なひとことになることがある。
説明的でしょうもない言葉になることがある。
もっとうまく言えないか、
こう言えばいいんじゃないか、
あれを言えばいいんじゃないか、
こっちも言えばいいんじゃないか。
セリフを書いていると、
どうしても決まらないセリフがあったりするものだ。
多分だけど、万感がこもり過ぎて、
説明するには多すぎる感情があるんだと思う。
あるいは、「ここで決めたろ!」という意識が強いのかもしれない。
ここで決まったらドヤ顔出来るなあ、
という欲望が透けて見えているかもしれない。
それが逆にプレッシャーになって、
結局うまく行かないこともあろう。
こういう時は、
「無言」をお勧めする。
「無言は最上のセリフである」というのはハリウッドの格言のひとつだ。
どんな言葉よりも、
役者の美しい顔のほうが、
説得力、表現力がある、というわけさ。
しょうもない言葉を紡いで、
それに負けるならば、
「……」という最高の芝居にしてしまえ、
というのは、戦略的な選択のひとつではないだろうか。
そもそも込められた万感の思いを、
言葉で表現できていないのだ。
だとしたら、
言葉でないもので表現したほうがよくないか?
ということだ。
もしあなたが言葉が豊かで、
「この感情」を言葉で表現できるのならば、
別に止めはしない。
しかしそもそも書けていない、
という状況があるならば、
「何も言わない、万感の表情」で語るのも、
選択肢に入れておくといいだろう。
昔、先人の脚本を読んだときに、
人物 「……」
という場面がやたら多かったのが気になったことがある。
これってどういう表現なんだろう、と思ったが、
その人物のアップを捉えるつもり、
という意味なんだと誰かに聞いたことがある。
なるほど、それならばわかる。
単に無音の間を取る、という意味ではなくて、
その人物の精妙な表情を捕らえれば、
言葉以上の情報を語ることができる、
という計算なのだな、と理解できた。
多分この表現は、日本のシナリオの独特の表現じゃないかな。
この間こそが日本映画かもしれない。
ハリウッドならばマルチカメラだから、
こんなアップをわざわざ指示しなくても、
各登場人物のアップは全部捕らえられていて、
編集ではさみ放題だ。
でも日本映画はシングルカメラなので、
撮っていないものは存在しない。
だから、「……」という表情を撮る、
と明示して置き、
編集で選択肢を持とうということだ。
(要らないなら切ってもよい)
もちろん、引きで「……」という微妙な間になることもある。
全員「……」となれば、
困ったなあ、とか、どうしよう、とか、
緊張が走る、という間になるだろうね。
あるいは、
感動のあまり言葉も出ずに動けない、みたいな意味になるだろう。
つまり、「……」は能面の役割をする。
これまでの文脈がはっきりしていればいるほど、
その文脈の感情が、「……」に投影されるというわけ。
クレショフのモンタージュ実験とまったく同じだ。
表情でとくに演技していなくても、
無表情を文脈の中にはさみこむことで、
その文脈に応じた感情を、
観客は勝手に投影する、というわけだね。
その効果が「……」にあるわけだ。
いくら言葉を尽くしても、
その意味が伝わらない場合、
あるいは下手くそでそれが書けない場合、
「……」に変えてしまうと、
驚くほど良く見えることがある。
もちろん、多用すると、
「こいつ書けないから『……』でごまかしているな」
とバレてしまうので、
ここぞという時に使うのがコツかな。
なんとも言葉で形容しがたい、
複雑な文脈のときほど、
「……」は活躍する。
万感の思いがそこに込められるからだ。
万感じゃなくて、単に腹減ったとか、
単純な感情ならば、セリフで書いたりト書きで示したり出来るだろう。
そうじゃなくて、
万感のときほど、「……」は効果的になると思う。
活用されたい。
2024年09月28日
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