2024年09月28日

何を言わせてもしっくり来なかったら、「……」を使え

現場のTIPSみたいなものだけど。


余計なひとことになることがある。
説明的でしょうもない言葉になることがある。
もっとうまく言えないか、
こう言えばいいんじゃないか、
あれを言えばいいんじゃないか、
こっちも言えばいいんじゃないか。

セリフを書いていると、
どうしても決まらないセリフがあったりするものだ。

多分だけど、万感がこもり過ぎて、
説明するには多すぎる感情があるんだと思う。

あるいは、「ここで決めたろ!」という意識が強いのかもしれない。
ここで決まったらドヤ顔出来るなあ、
という欲望が透けて見えているかもしれない。
それが逆にプレッシャーになって、
結局うまく行かないこともあろう。

こういう時は、
「無言」をお勧めする。

「無言は最上のセリフである」というのはハリウッドの格言のひとつだ。
どんな言葉よりも、
役者の美しい顔のほうが、
説得力、表現力がある、というわけさ。
しょうもない言葉を紡いで、
それに負けるならば、
「……」という最高の芝居にしてしまえ、
というのは、戦略的な選択のひとつではないだろうか。

そもそも込められた万感の思いを、
言葉で表現できていないのだ。
だとしたら、
言葉でないもので表現したほうがよくないか?
ということだ。

もしあなたが言葉が豊かで、
「この感情」を言葉で表現できるのならば、
別に止めはしない。
しかしそもそも書けていない、
という状況があるならば、
「何も言わない、万感の表情」で語るのも、
選択肢に入れておくといいだろう。


昔、先人の脚本を読んだときに、
人物 「……」
という場面がやたら多かったのが気になったことがある。
これってどういう表現なんだろう、と思ったが、
その人物のアップを捉えるつもり、
という意味なんだと誰かに聞いたことがある。

なるほど、それならばわかる。
単に無音の間を取る、という意味ではなくて、
その人物の精妙な表情を捕らえれば、
言葉以上の情報を語ることができる、
という計算なのだな、と理解できた。

多分この表現は、日本のシナリオの独特の表現じゃないかな。
この間こそが日本映画かもしれない。

ハリウッドならばマルチカメラだから、
こんなアップをわざわざ指示しなくても、
各登場人物のアップは全部捕らえられていて、
編集ではさみ放題だ。
でも日本映画はシングルカメラなので、
撮っていないものは存在しない。
だから、「……」という表情を撮る、
と明示して置き、
編集で選択肢を持とうということだ。
(要らないなら切ってもよい)

もちろん、引きで「……」という微妙な間になることもある。
全員「……」となれば、
困ったなあ、とか、どうしよう、とか、
緊張が走る、という間になるだろうね。
あるいは、
感動のあまり言葉も出ずに動けない、みたいな意味になるだろう。

つまり、「……」は能面の役割をする。
これまでの文脈がはっきりしていればいるほど、
その文脈の感情が、「……」に投影されるというわけ。
クレショフのモンタージュ実験とまったく同じだ。

表情でとくに演技していなくても、
無表情を文脈の中にはさみこむことで、
その文脈に応じた感情を、
観客は勝手に投影する、というわけだね。

その効果が「……」にあるわけだ。


いくら言葉を尽くしても、
その意味が伝わらない場合、
あるいは下手くそでそれが書けない場合、
「……」に変えてしまうと、
驚くほど良く見えることがある。

もちろん、多用すると、
「こいつ書けないから『……』でごまかしているな」
とバレてしまうので、
ここぞという時に使うのがコツかな。

なんとも言葉で形容しがたい、
複雑な文脈のときほど、
「……」は活躍する。
万感の思いがそこに込められるからだ。
万感じゃなくて、単に腹減ったとか、
単純な感情ならば、セリフで書いたりト書きで示したり出来るだろう。
そうじゃなくて、
万感のときほど、「……」は効果的になると思う。

活用されたい。
posted by おおおかとしひこ at 08:48| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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