2024年10月02日

アンタゴニストをつくれば、話は転がる

主人公は大体できた。
多分テーマはこのこと。
少なくとも、主人公の目的が大体できて、
そこへのルートがなんとなく見えてきた。

しかし話が転がらない。
こういう時は、アンタゴニスト(敵またはライバル)を作るとよい。


アンタゴニストを、
敵またはライバル、と訳した。
原語に忠実に訳せば敵対者だけど、
これだとライバルのニュアンスを入れこめないな、
と思ったので。


アンタゴニストが敵の場合をまず考えよう。

アンタゴニストは、
主人公と逆の考え方を持っているとよい。
だから、
主人公の行動に敵対する。
直接邪魔してくることもあるし、
間接的に妨害することもあるだろう。
あるいは、一人ではなく、チームや複数いることもある。

敵は、たいがい主人公サイドよりも強力で、
金持ちで、権力がある。
それをやっつけるから話は面白くなる。

逆の動機があり、
逆のテーマを持っている。
主人公が「金より愛」だとしたら、
敵は「愛より金」なわけ。
金で色んなやつの心を買いに来るだろうね。

このようにして、主人公サイドはピンチに陥り、
それを覆すように話は転がる。


ライバルの場合を考えよう。

敵は主人公と真逆だが、
ライバルは主人公と似ているか、同じ考え方を持っている。
それを先にやられてしまうか、
主人公が先にやるか、
のレースになる、というわけ。

スポーツのライバルが分かりやすい。

たとえば、
主人公が「このスポーツは楽しい」と思っているとすると、
ライバルは「より楽しいと思っている」やつか、
「全然楽しくなく、苦行でやっている」
というやつになるということだ。
前者が(分類上の)ライバル、
後者が敵になるわけだね。

ただまったく同じでは二人のキャラである意味がないので、
共通点があるのに他は真逆、
などのように設計するとコントラストがつく。


アンタゴニストとは、
「主人公と競合する者」という定義だと思うとよい。
真逆に競合するのが敵で、
同じことで競合するのがライバル、
ということだね。

もちろん、完全真逆じゃなくて、
似たところがあったら同族嫌悪や仲間意識になったり、
似ているはずなのに違ったら、
そこに面白みを感じたり、そこが嫌だったりと、
複雑な感情にすることが可能だ。

相手が露骨に妨害してくるパターンもあるだろうし、
無視されることもあるかもしれないし、
向こうの感情や事情をつくることで、
色々な中盤の展開を転がすことが可能になると思う。

そして、
たいていの場合、
アンタゴニストのほうが主人公よりも強力で、
権力をもっている。
主人公が自分よりも小さい人をただひき殺してもつまらないので、
自分より大きなものを倒すほうが、
物語になるからだね。


とにかく、
アンタゴニストをつくることで、
主人公のテーマが実現するのか?
というのが急に面白くなる。
反対のやつが出てくるわけだからね。

善悪以外に、
単に反対の考え方でいいんだよ。
資本主義と共産主義は、
捉え方によっては、
どちらかが善でどちらかが悪になることが多いけど、
別に善悪は関係ない。
使う人間の善悪で、結果的に共産主義が悪になっただけで、
本来邪悪なものではないだろう。
(一党独裁主義と共産主義は理論上関係がない。
議会制民主主義で共産主義は可能だ)

すべては、
ストーリーにおける役割で決まるというわけだ。


ということで、
アンタゴニストが出てくると、
話は転がしやすくなる。

どう転がすか困ったら、
アンタゴニストをつくるとよい。
妨害したり、邪魔だったり、
先行したり、
「どけ」と言ったりするだろう。
そのことで、
主人公のまっすぐな道が、
歪まされたり止まったりするわけだ。

道を簡単に進ませないコツは、
石に躓いて転ばせたり、
道をなくしたりすることだ。

中盤に迷ったら、
アンタゴニストの存在を考えるべきだと思う。
posted by おおおかとしひこ at 07:13| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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