2024年10月30日

映画見るのって疲れるよね

2時間集中してるって、
やっぱ疲れると思うんだよな。

それが心地いい疲れか、
不快な疲れか、でしかないと思う。


人間の集中力の限界は90分だとよく言われる。
経験的に導き出した数字であろう。

大学の授業は1コマ90分だ。
自分が喋ることを考えても、
ちゃんと深いことを喋るのは、
それが限界な気がする。

経験した中で、
最長の集中力キープは、
京大受験の2時間半かなー。
英語、数学、物理、化学の4科目を2日間。
それでも時間が足りないとよく言われる。
僕も100%やりきれなかった。

3時間の映画とかは、
どっかで休む前提だし、
見る方も覚悟してる。

だけど2時間って、
普通にいけるやろと勘違いしてるよね。
本来疲れる時間なんだよな。


昔は90分とか85分とかの映画が多くて、
二本立てが多かった。
でも一本興行のほうが効率いいのかな?
僕は二本立ての軽い映画も好きなんだけど、
今の劇場では需要がないのかしら。

人間の集中力は90分ぐらいだから、
それでいいとも思っている。


で、だから、
100分、110分、120分の映画は、
疲れるのさ。
90分前後が大体第二ターニングポイントだろうから、
クライマックスが10分、20分、30分ある、
90分の集中力が終わった後に、
おまけみたいな形で、
一番美味しいクライマックスがぶら下がっている、
そういう構造だってこと。

疲れたあとに、
何も考えないクライマックスで突っ走って、
最後のひと痺れを体験させる、
というのが、
現代の興行のやり方なのかもしれない。

心地よい場合は最高だろう。
苦痛な場合はどっと疲れるだろう。
肉体の疲労は同じだろうが、
あとは精神の高揚具合如何で決まる、
ということだ。

詰まらない映画に僕が怒るのは、
疲れさせやがって、という恨みによるんだろう。

素晴らしい映画に拍手するのは、
心地よい疲労=マッサージみたいな感覚だろうか。


時々、
とても疲れる文学的な映画を見て、
その疲労が詰まらない所以だと認めたくなくて、
「おもしろかった」ことにする人がいる。

疲れたのは自分が悪いからじゃない、
よかったからだ、と、
認知的不協和を起こしているんだね。
こんな疲れたんだから、
名作でないはずがない
(駄作に付き合って疲れたことを認めたくない)
と思ってしまう人が多いというわけ。

だから3時間映画って、
必ず面白かったという人がいる。
「オッペンハイマー」「インターステラー」
「ドライブマイカー」なんて駄作だと思うのに、
一定のファンがいるのは、
「苦労した自分を否定したくないから」
という無意識が働いてることが多いね。

もっと意味のある3時間、「RRR」「インドへの道」「ベンハー」とかを見て、
ぶっ飛ぶべきなのになあ。



さて。

その二時間を体験させるのが、
あなたのやるべきことだ。

二時間は疲れる。

それを、疲れてまで見る価値があるか?
ということだ。

二時間かけてそれかよ、になってないか?
二時間かけてそこに辿り着くのかー、良かったー、
になるべきだということだ。


夏休みの冒険を思い出そう。
丸一日かけても何にもならなかった冒険から、
何か貴重なものを見つけた冒険まで、
色々あったはずだ。

ただの徒労に終わった、失敗した体験なのか、
ああ、苦労が全部吹っ飛ぶ、大切なものを見た、
なのか、ということだ。

僕は、だから、ハッピーエンドこそが、
映画のあるべき形だと考えている。
大切なものを見た、と思えるのは、
幸福以外にないと思うわけ。

そこはまあ自由なので、
二時間かけてバッドエンドでもいいよ。
それを見る苦労に見合うならなんでもよい。



いつも僕は「スタンドバイミー」を思い出す。
死体を見にいく二時間。

何か大切なものを見たから、
帰りは、誰もしゃべらずにただ歩いただけ。
すっかり疲れたんだけど、
肉体の疲労だけでしゃべらない訳じゃない、
あの感じ。

街の入り口まで来て、じゃあ俺こっちなんで、
とみんな散り散りになり、
少し街が違って見えるその時。

そんな風になるのが、いい映画だと思っている。

それを提供できるかが、
いいシナリオを書いたか、ということだ。
posted by おおおかとしひこ at 08:14| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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