という風に思えるか。
この場合の「お前」は主人公のことだ。
脚本を書いて金もうけしようとか、
俺はえらいと思われたいとか、
人生大逆転したいから書いているとか、
そういう(不純な)動機は沢山あると思う。
何のために脚本を書くの?と聞いて、
「俺は成功したいんだ」という人は多いだろう。
だけど。
作者と主人公は別の人物なのであった。
だから論理的に、
あなたの成功と主人公の成功は関係ない。
因果関係もないし、共時性もない。
で、仮に、どちらかしか幸せになれないとしよう。
その時に、
「俺は成功しなくていいから、
主人公は幸せになってほしい」
と思えるか、
ということなんだよね。
「これを書いてえらいと言われよう」とか、
「これを書いた結果賞金を稼げる」とか考えていたら、
そんなことを思いも至らないと思ったんだよね。
僕らは主人公が幸せになるように、
色々画策するわけだ。
(もちろん、ラストの大成功のために、
途中をめちゃくちゃ不幸にするわけだが)
その目的が果たされないならば、
書く意味なんてないんだよな。
主人公か、あなたかの、
どちらかしか幸せになれないのならば、
主人公だ、と間髪入れずに答えられるのが、
物語の作者というものだ。
だから貧乏であれ、というわけではない。
金持ちになり、えらくなっても尊敬されても構わない。
主人公と作者は別人なのであった。
因果関係も共時性もないのだ。
ただ、どちらかしか幸せになれない、
という状況下では、
主人公しかないだろ、
と選びたいものだ。
あなたは主人公の人生と幸せの獲得を書く。
それだけが望みであるはずだ。
結果、金持ちになったりほめられることはあるかもしれないが、
それはあくまで結果論であり、
因果関係はない。
2024年11月02日
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