2024年11月02日

俺は成功しなくていいから、お前だけは成功してくれ

という風に思えるか。
この場合の「お前」は主人公のことだ。


脚本を書いて金もうけしようとか、
俺はえらいと思われたいとか、
人生大逆転したいから書いているとか、
そういう(不純な)動機は沢山あると思う。

何のために脚本を書くの?と聞いて、
「俺は成功したいんだ」という人は多いだろう。

だけど。
作者と主人公は別の人物なのであった。

だから論理的に、
あなたの成功と主人公の成功は関係ない。
因果関係もないし、共時性もない。

で、仮に、どちらかしか幸せになれないとしよう。
その時に、
「俺は成功しなくていいから、
主人公は幸せになってほしい」
と思えるか、
ということなんだよね。


「これを書いてえらいと言われよう」とか、
「これを書いた結果賞金を稼げる」とか考えていたら、
そんなことを思いも至らないと思ったんだよね。

僕らは主人公が幸せになるように、
色々画策するわけだ。
(もちろん、ラストの大成功のために、
途中をめちゃくちゃ不幸にするわけだが)

その目的が果たされないならば、
書く意味なんてないんだよな。

主人公か、あなたかの、
どちらかしか幸せになれないのならば、
主人公だ、と間髪入れずに答えられるのが、
物語の作者というものだ。


だから貧乏であれ、というわけではない。
金持ちになり、えらくなっても尊敬されても構わない。
主人公と作者は別人なのであった。
因果関係も共時性もないのだ。

ただ、どちらかしか幸せになれない、
という状況下では、
主人公しかないだろ、
と選びたいものだ。


あなたは主人公の人生と幸せの獲得を書く。
それだけが望みであるはずだ。

結果、金持ちになったりほめられることはあるかもしれないが、
それはあくまで結果論であり、
因果関係はない。
posted by おおおかとしひこ at 10:46| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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