なんてことを最近よく聞くようになった。
人としての守らなければならないライン、
というような意味だね。
ラインを超えないのは、
あくまで日常のことだ。
物語は非日常のことである。
だから、ラインを超えるのが物語だといってもよい。
悪役は当然ラインを超える。
悪役とはラインを超えるものだ。
主人公もときにラインを超えるだろう。
意図的かもしれないし、意図しないで超えてしまうかもしれない。
日常的な手続きでことが進行するならばそんなこともないが、
こと、非日常な出来事を、非日常的に処理しなければならないのだ。
ラインを守っている場合ではないこともあるだろう。
主人公を取り巻く人もそうだ。
意図せずともラインを越えてしまう人が出てくる。
意図的にラインを越えて踏みにじって来る人も出てくる。
人の本性は、
非常時に出るのだ。
その恐ろしさを書くのだ。
あるいは、
日常ではラインを守っていたから、
ある程度の範囲までしか行けなかったが、
ラインを超えたことによって、
より深い理解や絆が生まれるかもしれない。
ケガの功名や雨降って地固まるというやつである。
むしろそれをするために、
ラインは越えられなければならないのだ。
恋してるときは、ラインを超えるべきか、
超えないべきか、いつも迷うことになる。
恋は非日常の代表だからわかりやすい。
恋じゃなかったとしても、
「これを言ったら嫌われるから駄目だ」
ということだって、
非日常だと言わなきゃならないことだってあるのだ。
つまり、
非日常であるところの物語では、
ライン越えが連発しなければならない。
常識のネジをぶっ飛ばさないと、
物語なんて書けないわけだ。
これを言ったらコンプライアンスが、
なんて思っている人は一生物語なんて縁がないだろう。
それを踏み越えたところにしか、
物語はないのだ。
2024年11月03日
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