2024年11月03日

さすがにそれはライン超えてる

なんてことを最近よく聞くようになった。
人としての守らなければならないライン、
というような意味だね。

ラインを超えないのは、
あくまで日常のことだ。
物語は非日常のことである。
だから、ラインを超えるのが物語だといってもよい。


悪役は当然ラインを超える。
悪役とはラインを超えるものだ。

主人公もときにラインを超えるだろう。
意図的かもしれないし、意図しないで超えてしまうかもしれない。
日常的な手続きでことが進行するならばそんなこともないが、
こと、非日常な出来事を、非日常的に処理しなければならないのだ。
ラインを守っている場合ではないこともあるだろう。

主人公を取り巻く人もそうだ。
意図せずともラインを越えてしまう人が出てくる。
意図的にラインを越えて踏みにじって来る人も出てくる。
人の本性は、
非常時に出るのだ。
その恐ろしさを書くのだ。

あるいは、
日常ではラインを守っていたから、
ある程度の範囲までしか行けなかったが、
ラインを超えたことによって、
より深い理解や絆が生まれるかもしれない。
ケガの功名や雨降って地固まるというやつである。
むしろそれをするために、
ラインは越えられなければならないのだ。

恋してるときは、ラインを超えるべきか、
超えないべきか、いつも迷うことになる。
恋は非日常の代表だからわかりやすい。
恋じゃなかったとしても、
「これを言ったら嫌われるから駄目だ」
ということだって、
非日常だと言わなきゃならないことだってあるのだ。


つまり、
非日常であるところの物語では、
ライン越えが連発しなければならない。
常識のネジをぶっ飛ばさないと、
物語なんて書けないわけだ。
これを言ったらコンプライアンスが、
なんて思っている人は一生物語なんて縁がないだろう。
それを踏み越えたところにしか、
物語はないのだ。
posted by おおおかとしひこ at 07:24| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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