サブテキストサブテキストってやたらと使う、
どこかの脚本理論を見かけて、
オイオイ日本語には言外の意図ってのがあるやろ、
と苦笑いする。
そんなん、京都に三代住んだらわかるよし。
さて、
言外の意図をどうつくるか。
Aという言葉を言いながら、
実はBという意図を含むことだよね。
まずは文脈がそれを決める。
たとえば、
同級生がバイトで働いてるときに、
友達がみんな来て注文する時に、
そのバイトが「〜でございますね」とか、
マニュアルの言葉を使ってる場面って萌えるよね。
ほんとは同級生とキャッキャやりたいくせに、
オフィシャルな言葉遣いをしなくちゃならない、
そのギャップがおもしろい。
これを利用しよう。
すなわち、
オフィシャルとプライベートの、
二つの文脈を同時に走らせれば良い。
プライベートではこう言いたいのだが、
オフィシャルとしてはこう言わざるを得ない、
という場面をつくれれば、
オフィシャルな言葉は言外の意味を持つ。
いろんな場面が作れるだろう。
刑事が親友を逮捕しなきゃいけないとき、
親友がその前にタバコを一服、
と言ってもタバコを渡せず、
しかし手錠をかけたあとは一本渡す、
みたいな公私の葛藤は、
それだけで場面になるだろう。
ほんとは君のことを愛してるんだ、
だけど君の幸せを考えたら、
今ここで僕はさよならと言うしかないんだ、
なんて場面は、
古今東西の映画で死ぬほどあったろう。
先日書いた話では、
「コーチとしては反対する。
だが、男としては賛成する」
という場面があった。
言外の意味ではないが、
二つの立場で引き裂かれている、
と言う意味では同じことだ。
京都人の、
「おたくのお子さん、ピアノ上手くなりはりましたなあ」も、
表面上の付き合いの外面と、
「うるせえ」という内面の、
二つに引き裂かれているわけだ。
京都人はそれをナチュラルに使ってくる。
それを読み取れる文化程度かを確認してるんだね。
人には立場というものがある。
Aという立場でいるべきか。
Bという立場でいるべきか。
そこに葛藤がある。
Aという立場を取るふりをして、
ほんとうはBを伝えたい、
という葛藤があるわけだね。
この場合の葛藤は、
コンフリクトの誤訳としての葛藤ではなく、
語義どおり、
心の中で激しく迷うことだ。
しかしいつまでも葛藤した状態は許されないため、
Aとして発言するしかない中で、
Bを含むようにすればいいんだね。
文化的な定型をもつ、
言外の意図もある。
「ごめんなさい、私忙しくて」は、
「あなたのデートを受けません」だし、
上司の「ちょっと食事でもどうだ」は、
辞令がらみの何かだろう。
まあろくなことじゃない。
こういうものを集めておいて、
いざという時に使えるといいよね。
あるいは、
定型をわざと使って、
さらに異なる言外の意図を含ませる、
高等テクニックもあろう。
自分の書いたやつでいえば、
風魔10話の、
「では小次郎は死ぬか、風魔の里へ帰ってしまうのね?」
に対する、
「そうです」がそれだね。
わざと敬語にすることで、
主君と忍びの関係性、踏み込んではいけない領域の、
線を引く行為だからね。
これまでデートしてたのが、急にシビアな雰囲気になる、
このゾクゾクする感じは、
言外の意図を理解するからだ。
もちろん、
決めの場面で使わなくてもいい。
軽口を叩く時にも使えるかも知れない。
セリフ通りの意味しか人間は喋らないわけないよ。
ほんとにそうだとしたら、
現代国語教育の失敗だよな。
文化とは、AでBを言うことなんだから。
ためしに、
以下の言外の意図を書いてみたまえ。
・日経株価を言うことで、愛の告白を言う
・エロ単語だけで、会社の行末を心配する
・駅員のセリフだけで、親の死を悲しむ
とくに正解はない。
できるかどうかも考えてないw
名セリフになったら、どこかで使ってみて。
2024年11月07日
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