2024年08月07日

月へ飛ぶ約束(「インサイド・ヘッド」批評)

2が好評らしくて見ようと思って、
未見だった1を見た。

トータルでは良作の範囲かなあ。
でも途中の場面で号泣してしまった。

以下ネタバレで。


脳内の「感情」が主人公で、
脳内の冒険と人間の日常がリンクする、
というアイデアはとても面白い。

よくある脳内会議ものかと思ったら少し違ってて、
喜びと悲しみが脳内で吹き飛ばされ、
忘却や恐怖の谷を超えて、
喜びと悲しみは表裏一体なのだと気づく、
というアウフヘーベンは見事。

夏休みの冒険映画にふさわしい、
よくできたプロットだった。


ただ、現実の人間の肉体のほう、
ライリーの、現実のドラマが少し薄いんよね。
家出のための長距離バスを、
すんでのところで降りておしまい、
というのが少しヌルいと思った。

あそこでミネソタまで行って、
湖や裏庭に行ったり、
メガネの友達に会って欲しかったな。
脳内の冒険も結構だけど、
現実の冒険の方がずっと尊いと僕は思う。

そこで怖い目にあったり、
やっと辿り着いた友達と湖に行って、
近くの小屋で泊まる、みたいな、
ひと夏の冒険があれば、
成長ともっとリンクしたのに。


脳内世界のバランスと、
現実のバランスが悪かったように思う。
転校初日のトラウマがデカすぎたため、
その後の展開まで行かなかったんだろう。

転校初日を第一ターニングポイントに持ってくれば、
そんな現実の冒険譚が描けたかも知れない。

夢の映画館はアイデアとして面白いけどさ、
全カットでも話は成立するよね。
(地下の倉庫のピエロとブロッコリーのパートまで含めて全カットでも、
成立する)

喜びや親切を忘れた中盤のライリーが、
悪い友達と付き合ってもよかったよね。
そいつらをライリーの喜びで満たして、
彼女らも変わったみたいにしてもいいはずだ。

あのランチを一人で食べてたライリーに、
友達ができたのかすごい気になってしまう。


脳内では色々あるのに、
現実では大したことしてないのが、
物足りない感じだったかな。

これは以前論じた、
「少女漫画の舞台は脳内」みたいなことと一致する。
小説とかなら耐えられても、
三人称形式の映画では、
「何もしない子」どまりになるということだ。

2では思春期を迎えているらしいので、
より行動にフィーチャーできるのかな。
そこらへんを期待するとして。



途中、僕が泣けて泣けてしょうがなかったのは、
あのウザイイマジナリフレンドとの別れだ。

忘却という死の谷に落ちた二人は、
同じ運命の死にゆくロケットを見つけて、
月まで飛ぶ約束を叶えようとする。

何度チャレンジしても失敗して、
イマジナリフレンドが自ら飛び降りて、
喜びだけを先に行かせた場面。

地面に落ちて振り向き、
彼女の成功を確かめた、
あの目を僕は忘れられない。

あんな純粋で必死な目をできる役者が、
現実にいるだろうか?

イマジナリフレンドは消えて忘れられることを知っている。
その運命を受け入れた瞬間。
僕の代わりに、ライリーと月まで行ってくれといった瞬間。


ああ、2は思春期の話であった。
ラスト、ライリーは宇宙飛行士を目指して終わるのかもな。
月までいく約束をずっと昔にしたと、誰かに言うのかもしれない。

こういう、忘れてるけど忘れてないみたいな話が僕は好物。
(楽しみにしてるので予告編すら入れてない)



忘却という死を発明したことが、
この物語の勝利ポイントだよね。

子供の頃の幸福な記憶の島が、
悲しみとともに崩れていくのはとても良かった。

人はどこかで悲しみを友達にしなきゃいけない、
というのが、
子供時代の終わりなんだなあ、
と深く思う。
その人間の本質を描き切る力よ。


成長するにつれて、
人は新しい感情を覚えるようになり、
2ではその感情の数が増えるという。
今からたのしみだ。
posted by おおおかとしひこ at 14:48| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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