2が好評らしくて見ようと思って、
未見だった1を見た。
トータルでは良作の範囲かなあ。
でも途中の場面で号泣してしまった。
以下ネタバレで。
脳内の「感情」が主人公で、
脳内の冒険と人間の日常がリンクする、
というアイデアはとても面白い。
よくある脳内会議ものかと思ったら少し違ってて、
喜びと悲しみが脳内で吹き飛ばされ、
忘却や恐怖の谷を超えて、
喜びと悲しみは表裏一体なのだと気づく、
というアウフヘーベンは見事。
夏休みの冒険映画にふさわしい、
よくできたプロットだった。
ただ、現実の人間の肉体のほう、
ライリーの、現実のドラマが少し薄いんよね。
家出のための長距離バスを、
すんでのところで降りておしまい、
というのが少しヌルいと思った。
あそこでミネソタまで行って、
湖や裏庭に行ったり、
メガネの友達に会って欲しかったな。
脳内の冒険も結構だけど、
現実の冒険の方がずっと尊いと僕は思う。
そこで怖い目にあったり、
やっと辿り着いた友達と湖に行って、
近くの小屋で泊まる、みたいな、
ひと夏の冒険があれば、
成長ともっとリンクしたのに。
脳内世界のバランスと、
現実のバランスが悪かったように思う。
転校初日のトラウマがデカすぎたため、
その後の展開まで行かなかったんだろう。
転校初日を第一ターニングポイントに持ってくれば、
そんな現実の冒険譚が描けたかも知れない。
夢の映画館はアイデアとして面白いけどさ、
全カットでも話は成立するよね。
(地下の倉庫のピエロとブロッコリーのパートまで含めて全カットでも、
成立する)
喜びや親切を忘れた中盤のライリーが、
悪い友達と付き合ってもよかったよね。
そいつらをライリーの喜びで満たして、
彼女らも変わったみたいにしてもいいはずだ。
あのランチを一人で食べてたライリーに、
友達ができたのかすごい気になってしまう。
脳内では色々あるのに、
現実では大したことしてないのが、
物足りない感じだったかな。
これは以前論じた、
「少女漫画の舞台は脳内」みたいなことと一致する。
小説とかなら耐えられても、
三人称形式の映画では、
「何もしない子」どまりになるということだ。
2では思春期を迎えているらしいので、
より行動にフィーチャーできるのかな。
そこらへんを期待するとして。
途中、僕が泣けて泣けてしょうがなかったのは、
あのウザイイマジナリフレンドとの別れだ。
忘却という死の谷に落ちた二人は、
同じ運命の死にゆくロケットを見つけて、
月まで飛ぶ約束を叶えようとする。
何度チャレンジしても失敗して、
イマジナリフレンドが自ら飛び降りて、
喜びだけを先に行かせた場面。
地面に落ちて振り向き、
彼女の成功を確かめた、
あの目を僕は忘れられない。
あんな純粋で必死な目をできる役者が、
現実にいるだろうか?
イマジナリフレンドは消えて忘れられることを知っている。
その運命を受け入れた瞬間。
僕の代わりに、ライリーと月まで行ってくれといった瞬間。
ああ、2は思春期の話であった。
ラスト、ライリーは宇宙飛行士を目指して終わるのかもな。
月までいく約束をずっと昔にしたと、誰かに言うのかもしれない。
こういう、忘れてるけど忘れてないみたいな話が僕は好物。
(楽しみにしてるので予告編すら入れてない)
忘却という死を発明したことが、
この物語の勝利ポイントだよね。
子供の頃の幸福な記憶の島が、
悲しみとともに崩れていくのはとても良かった。
人はどこかで悲しみを友達にしなきゃいけない、
というのが、
子供時代の終わりなんだなあ、
と深く思う。
その人間の本質を描き切る力よ。
成長するにつれて、
人は新しい感情を覚えるようになり、
2ではその感情の数が増えるという。
今からたのしみだ。
2024年08月07日
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