2024年11月05日

プロットには、「何が起こるか」を書くな

昔書いたプロットが出てきて、
よくないなあ、
と思ったので自戒をかねてメモしておく。


プロットに、「起こること」をメインに書いてはいけない。
それは天からやって来るものであり、
主人公たちが行動して得るものではないからだ。

いわく、
大会がやって来る、
嵐がやって来る、
条件を言われる、
〇〇だと判明する、
などである。

それは、主人公の外からやって来るものだ。
主人公が自ら起こす行動ではない。
行動がないところには、結果(失敗、成功)もなく、
次の行動もない。

ストーリーとは、
主人公の行動の連鎖で記述されるのだ。

「起こること」は、すべて主人公の外のことだ。
つまり、
夏休みの天気の表と同じに過ぎない。
それに対して、
「主人公は何をしたか」という日記が、
ストーリーである。


もちろん、事件は外からやって来る。
それに対して、最初は主人公たちは、
「反応」という形で動き出すだろう。
しかし、少なくとも、第一ターニングポイントにおいては、
自らの意思で、センタークエスチョンを解決する意思を示さなければならない。
その責任の行く末がストーリーである。

だから、行動と結果が記録されていないプロットは、
プロットではないとすらいえるだろう。

昔の僕はそんなに実力がなかったんだなあ、
と少し落ち込むと同時に、
それはだめだと判断できるだけの実力がついたのだ、
とも言えるかな。

プロットに、主人公(たち)の動詞はいくつあるだろう。
その結果を受けて、次の動詞はあるだろうか。
1ターンだけの行動結果は、
短編なら分るが、長編ではないだろう。
何ターンの行動と結果のループがあるだろうか。
それらを回しているうちに、
いずれ成功へと繋がってゆくのが、
映画という2時間の物語だ。

天気のことを書いている場合ではない。
行動と結果をかんがえなさい。
posted by おおおかとしひこ at 16:31| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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