昔書いたプロットが出てきて、
よくないなあ、
と思ったので自戒をかねてメモしておく。
プロットに、「起こること」をメインに書いてはいけない。
それは天からやって来るものであり、
主人公たちが行動して得るものではないからだ。
いわく、
大会がやって来る、
嵐がやって来る、
条件を言われる、
〇〇だと判明する、
などである。
それは、主人公の外からやって来るものだ。
主人公が自ら起こす行動ではない。
行動がないところには、結果(失敗、成功)もなく、
次の行動もない。
ストーリーとは、
主人公の行動の連鎖で記述されるのだ。
「起こること」は、すべて主人公の外のことだ。
つまり、
夏休みの天気の表と同じに過ぎない。
それに対して、
「主人公は何をしたか」という日記が、
ストーリーである。
もちろん、事件は外からやって来る。
それに対して、最初は主人公たちは、
「反応」という形で動き出すだろう。
しかし、少なくとも、第一ターニングポイントにおいては、
自らの意思で、センタークエスチョンを解決する意思を示さなければならない。
その責任の行く末がストーリーである。
だから、行動と結果が記録されていないプロットは、
プロットではないとすらいえるだろう。
昔の僕はそんなに実力がなかったんだなあ、
と少し落ち込むと同時に、
それはだめだと判断できるだけの実力がついたのだ、
とも言えるかな。
プロットに、主人公(たち)の動詞はいくつあるだろう。
その結果を受けて、次の動詞はあるだろうか。
1ターンだけの行動結果は、
短編なら分るが、長編ではないだろう。
何ターンの行動と結果のループがあるだろうか。
それらを回しているうちに、
いずれ成功へと繋がってゆくのが、
映画という2時間の物語だ。
天気のことを書いている場合ではない。
行動と結果をかんがえなさい。
2024年11月05日
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