「脚本を書く」「執筆する」などというものだから、
ペンを執る所から、キーボードを叩くことから、
始めるイメージになるのかも知れない。
それは違う。
「書く」のは全工程の最後、
数%の作業だと思う。
つまり90何%かは、
キーボードにまだ触ってもいない。
何をしているのか。
構想である。
構想といっても、頭の中で考えている状態だけを意味しない。
大量にメモを取ってる時も含める。
つまり、
本原稿の1P目を書き始める前に、
大量のメモがあってよい。あるべきだ。
ないのはあり得ない。
アイデアの断片、プロット、
キャラクターシート、アーク、
ストーリーラインのメモ、絡み方のアイデア、
設定、
バージョン違いのプロット、
全部を俯瞰できる何か、
調べ物、そこで考えたことや知ったことのメモ、
各種連絡先、
テヅカチャートによるブレーンストーミング、
タイトル候補、固有名詞候補、
ログライン、ビジュアルアイデア、
予告編のイメージ、紹介文を書くとしたら、
あらすじ、キャッチコピー、
湧いてきたセリフたち、
シーンのアイデア、クライマックスの段取り、
位置関係、地図、
ポスターの絵のアイデア、
結末から逆に辿ったストーリー、
などなどなどなど。
僕はこんなものを雑多に書いて、
パラパラと流し読みしたり、
別のアイデアを書き込んだりして、
雑多なメモ集をつくる。
A4ノート一冊くらい?もっとある時もある。
寝かせて、
あらためて白紙にプロットを書いてみて、
前のバージョンと比較したりする。
いつ書き始めるか。
「最後まで一本の線が見えた時」だ。
最近は「複数の絡み合った糸が最後まで」かな。
最低限でも、
頭から尻まで繋がった、という感覚を得た時だね。
その時点まで、9割以上の時間と思考を費やす。
いざ最終工程の執筆がスタートしたとしても、
途中で練り直しが必要だなと思ったら、
前の段階に戻ることもある。
なのでやっぱり、
原稿を書いてる時間は少ない。
以前書いた二時間のものは、
仕事の合間にコツコツ半年かかって書いた。
でも10年くらい温めてきたネタなので、
感覚としてはやっぱ9割は考えてるんだと思う。
書き始める前に、
勝負は終わっている。
そうなるのが理想だと思う。
なぜなら、迷いがなくなるからだ。
どうしよっかなー、なんて執筆時にやってたら、
どんどん歪んでいくと思う。
それをライブ感とか疾走感と勘違いしてはならない。
綿密な計画のもとに、
まるでライブ感があるように、
まるで疾走しているように、
迷いなく書くだけなのだ。
画竜点睛というと言い過ぎかもしれないが、
執筆ってそれくらいの分量。
圧倒的にそれまでが長い。
手塚治虫のアイデアノートが何十冊もあった、
というのはよくわかる。
書いたメモの1割ぐらいしか原稿になってないもの。
2024年11月16日
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