2024年11月17日

おもしろい脚本の書き方

という検索ワードを見たので、
僕なりの考えを書いてみる。


1. あなたがおもしろいと思うものを思いつく。
2. それを万人にもおもしろいようにつくる。

たったこれだけだと思う。



まず、あなた自身がおもしろいと思うアイデアを考えなさい。
あなたのテンションが100のうち20になる程度なら、
意味がない。
あなたがこれまで一番面白いと思うものを100としたとき、
100か、200か、5000か、10000を思いつくことだ。

これまでの100を、
同じジャンルで越えることは結構難しいと思う。
たとえば「男二人の熱すぎる運命」でRRRを越えることはもう無理だろう。

だから、
「別方向ではあるが、
これまでのマックスを超えるおもしろさ」
を思いつくことになるだろう。

それが出来ないならば、
そもそも書く意味がないので、
おもしろいアイデアの思いつき方をググってみたまえ。



さて、
まずその100のアイデアありきからはじめよう。

それを最終的におもしろい脚本に定着させるだけの、
実力はあるものとする。

あなたが書き終えたものが、
あなたのおもしろいアイデアに劣っているならば、
あなたには筆力が足りない。
文章の書き方などを調べて、
経験を積みまくって鍛えることだ。

「背の高さまで書けばデビューできる」
という格言が脚本の世界にはある。


さて、100のおもしろさを、
100の脚本に書けるとしよう。
じゃあ書けばいいのか?
まだ書いちゃだめだ。

次の段階を経よう。

つまり、
「そのおもしろさをみんなが理解できるか?」の段階だ。




極論、あなた一人がおもしろいと思ってて、
地球上の誰一人もそう思わないものかも知れない。

あるいは、仲間内の3人くらいには通じるおもしろさだが、
それを前提としてない人にはさっぱり、かもしれない。

つまり次の段階とは、
「ローカルなおもしろさを、グローバルなおもしろさに転換する」
なのだ。



この時よくあることは、
「自分が100おもしろいと思ったが、
他の人はつまらんという。
自分はセンスがないのではないか、
才能がないのではないか」
という疑心暗鬼に取り憑かれることだ。

いや、自分の100のテンションは信じるべきだ。

「問題は、全員を100に持っていけないこと」
と考えれば良い。

あなたが根本的に間違ってるのではなく、
あなたの実力が足りてないだけだ。



さて、じゃあ、どのようにすれば、
他人をあなたのテンション100に上げられるか?
あるいは、他人を100に巻き込めるのか?

あなたの100を見せても、
いきなりは引くだろう。
徐々に巻き込んで、いつの間にか100になることを計画するべきだ。

「オッ、いいじゃん」という導火線10〜20をつくり、
30〜40に上げて、
50にして75にして90にして、
ついに100にすればいいのさ。

そんなふうに、巧妙な計画が立てられるか?
ということだ。


どのようにすれば可能か?
あなたの思うおもしろさを、
言語化するとよい。


まずどんな種類のおもしろさかをざっくり分類しよう。

仮に「感動する」おもしろさだとする。

そうしたら、「それはなぜか?」を言語化する。

たとえば、
「○○が○○になって○○だから感動する」
のように言語化してくれ。

これはつまり、解説を書いているのだ。

他人がそれを感動しなかった時に、
「○○が○○になって○○だから感動する」だろ!
と解説すれば、
「ああーなるほどー!そういう感動か!」と、
納得するようなものを書きなさい。

もしそれで納得いくものが出来ないなら、
あなたは解説が下手だ。
解説が下手だというのは、
客観的な視点にいないということだ。

「これのおもしろさが分からないなんて、バカだ」
と思ってるうちはまだ自分の領域にいるのだ。
相手の領域に行くことが大事だ。


さて、別の客観領域も見よう。

「○○が○○になって○○だから感動する」話は、
他に何がある?
探そう。

もし似たようなものがあり、
そっちの方がおもしろいなら、
あなたの負けである。

つまらないといった人は、
その話が念頭にあり、
比較した上でつまらないと言ってる可能性がある。

あるいは、
大きくは全然違うけれど、
部分的に似た場面があるものを思い出して、
それに比べたらつまらんね、
と思われている可能性がある。

だから、名作はたくさんみるべきなのだ。

沢山見て、沢山分析するのだ。

なぜこれは名作なのか?
なぜこれはおもしろいのか?
を、自分の言葉にするのだよ。

○○で○○だからこれはおもしろい、
というふうに分析しておくと、
世間では全く違うジャンルだと思われるものに、
同じおもしろさを発見できるかも知れないよ。

それは、
世界のおもしろさに詳しくなれ、
ということでもある。


次に、それらの名作は、
作者が思う100に、どのようにみんなを巻き込んでるか?
を分析するんだよ。

いきなり100になってないよね。
1とか2から丁寧に始めるものもあるし、
40くらいの熱めから行く場合もあろう。

いずれにせよ、
ゴールが100になれば勝ちなのだ。
そのテクニックを学ぶことだ。


そして、
「自分の興味がわかないが、名作と言われるもの」を、
見ることが大事だ。

たとえば僕は法廷劇はあんまり好きじゃないが、
「情婦」(原題: 検察側の証人)というモノクロ映画には、
マジでしびれた。
コメディもそんな好きじゃないが、
ビリーワイルダーの一連の作品は凄かった。

多くのモノクロ映画にはこんな傑作もあるのに、
なんでみんな教えてくれないんだ!と、
腹すら立つ。

これらの作品は、
「興味のない人を100に持って行く力」が、
ずば抜けてることがわかる。

それはどのようにして?
を言語化するとよい。

自分のテンションがどのように上がっていったか、
作品のエピソードやターニングポイントなどを、
細かく分析して行くのだ。

鍵になるのは感情移入であろう。
全く他人のおはなしに、夢中になるわけだからね。



さて。

あなたが100だと思うものを思いつく。
あなたが100だと思う原稿にしあげる。
そしてそれを、
全員が(または出来るだけ多くの人が)100だと思う原稿に、
転換する。

たったこれだけをやればゴールだ。
三つともハードル高いやんけ!
とくに三つ目。


あなたはどれが出来てないだろうか?
そこからやりなはれ。
posted by おおおかとしひこ at 12:17| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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