2024年11月21日

構成力は整理力、構成力はつなげ力

構成力ってよく言うけど、
構成力がある、ないってどういうところに出てくるんだろう?

僕はふたつあると考える。


構成力があるということは、
整理する力があるということだ。
あるプロットラインとあるプロットラインが、
ややこしいならば一つに整理するとか、
似ているプロットラインがあるときに、
対比的に描きなおすとかだ。

あるいは、
一本の太い線しかなかったら、
それをそのまま採用する勇気を持つとか、
数本の細かい線にわけて、
分りやすくするとかだ。

段取りが悪いならば、
分りやすくなるように順番を変えて整理する力も必要だ。
あるものをずっと隠しておき、
ある時が来たら公開して驚かせる、
という「時間に関する整理」もいるだろう。
(それが機能していないなら、隠さずに先に公開する、
という風に整理しなおす力も時に必要)

時間に関する整理、
空間に関する整理を、
できるかどうかは、
構成力があるか、だと思われる。


これが足りないと、
ごちゃごちゃした話になる。
分りにくい話になる。
まどろっこしい話になる。
すっきりしない話になる。

いずれも、整理されていないということ。

あるいは、意味に関する整理もある。
それだけの労力を費やして、
それしか言えていないのか、とか。
それを言うならば、反対意見のそれを扱わないのは片手落ちであるとか。
それとそれがあることで逆にわかりにくくなっているから、
一方向は落とすとか。

あることが作中に存在するということは、
それが存在する意味があるということだ。

別のものが存在するということは、
それも存在する意味があるということだ。

もしそれらが矛盾していたり、
本編の意味に関して存在している意味がないならば、
切ったほうがよい。
無駄で誤解を生むからね。


そのように、意味に関して整理されていなければ、
あれはどういう意味があったんだ?
なくても良かったのでは?
あれがあることで話がややこしくなっているぞ?
あれがある意味で考えることがあるが、
それの結末が提示されていない、
などが起こり得る。

で結局何が言いたかったの?
ってなるものは、
意味に関して整理が下手だってことだと思う。



もう一方の、
つなげる力についても見ていこう。

あるものが故にあるものが起こる、
というのが因果関係である。

ストーリーとは因果関係の糸たちによる編み物である。
あるものがあるものと繋がっていないと、
繋がっていない話になる。
ブツ切れの印象になり、
そのパートの存在意義がわからなくなり、
なんだったんだあれ、になってしまう。

逆に、それとそれが繋がっていると分かれば、
なるほどそうだったのか!となる。
今まで関係ないと思われていたものが、
徐々につながって一本の糸になってきたぞ!
という瞬間は、
ストーリーを見ていて楽しい瞬間のひとつだよね。

あれはあれの伏線だったのか、
というのもつなげる力によるものだろう。

逆に、繋がっているものを切る力は整理の力かもしれない。
ちょっと内輪になり過ぎているつながりを切って、
別々の世界の話にすることでバランスを保つ、
などはつなげる力と整理の力の両方によるものかもも知れない。

あらゆるものをつなげて、
一個のゼリーにする必要はない。
全部が繋がっていない状態のほうが、
「人種のサラダボウル状態」になるので面白いときもある。
(かつてニューヨークは「人種のるつぼ(メルティングポット)」と呼ばれたが、
人種たちは混ざり合って仲良くするのでもなく、
それぞれにコミュニティをつくって交わることが少ないため、
サラダボウルになったそうだ)

それらを、
つなげる力と整理する力で、
編み上げていく。
必要なら切ってつなげていく。

そんな力が、僕は構成力だと思っている。


構成力を、三幕構成のような、
「ある時間にある出来事があるように調整する力」
だとは僕は思わないよ。
そんなのすぐにできるじゃんか。
もっと大事な構成というものがあると僕は思う。

「構成力がある」という時に、
人はバラバラのことを言っている可能性がある。

テンポがいいだけで構成力がある、って人もいるくらいだからね。
僕は、世界の構成力のような意味で使うことが多いね。
posted by おおおかとしひこ at 09:40| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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