構成力ってよく言うけど、
構成力がある、ないってどういうところに出てくるんだろう?
僕はふたつあると考える。
構成力があるということは、
整理する力があるということだ。
あるプロットラインとあるプロットラインが、
ややこしいならば一つに整理するとか、
似ているプロットラインがあるときに、
対比的に描きなおすとかだ。
あるいは、
一本の太い線しかなかったら、
それをそのまま採用する勇気を持つとか、
数本の細かい線にわけて、
分りやすくするとかだ。
段取りが悪いならば、
分りやすくなるように順番を変えて整理する力も必要だ。
あるものをずっと隠しておき、
ある時が来たら公開して驚かせる、
という「時間に関する整理」もいるだろう。
(それが機能していないなら、隠さずに先に公開する、
という風に整理しなおす力も時に必要)
時間に関する整理、
空間に関する整理を、
できるかどうかは、
構成力があるか、だと思われる。
これが足りないと、
ごちゃごちゃした話になる。
分りにくい話になる。
まどろっこしい話になる。
すっきりしない話になる。
いずれも、整理されていないということ。
あるいは、意味に関する整理もある。
それだけの労力を費やして、
それしか言えていないのか、とか。
それを言うならば、反対意見のそれを扱わないのは片手落ちであるとか。
それとそれがあることで逆にわかりにくくなっているから、
一方向は落とすとか。
あることが作中に存在するということは、
それが存在する意味があるということだ。
別のものが存在するということは、
それも存在する意味があるということだ。
もしそれらが矛盾していたり、
本編の意味に関して存在している意味がないならば、
切ったほうがよい。
無駄で誤解を生むからね。
そのように、意味に関して整理されていなければ、
あれはどういう意味があったんだ?
なくても良かったのでは?
あれがあることで話がややこしくなっているぞ?
あれがある意味で考えることがあるが、
それの結末が提示されていない、
などが起こり得る。
で結局何が言いたかったの?
ってなるものは、
意味に関して整理が下手だってことだと思う。
もう一方の、
つなげる力についても見ていこう。
あるものが故にあるものが起こる、
というのが因果関係である。
ストーリーとは因果関係の糸たちによる編み物である。
あるものがあるものと繋がっていないと、
繋がっていない話になる。
ブツ切れの印象になり、
そのパートの存在意義がわからなくなり、
なんだったんだあれ、になってしまう。
逆に、それとそれが繋がっていると分かれば、
なるほどそうだったのか!となる。
今まで関係ないと思われていたものが、
徐々につながって一本の糸になってきたぞ!
という瞬間は、
ストーリーを見ていて楽しい瞬間のひとつだよね。
あれはあれの伏線だったのか、
というのもつなげる力によるものだろう。
逆に、繋がっているものを切る力は整理の力かもしれない。
ちょっと内輪になり過ぎているつながりを切って、
別々の世界の話にすることでバランスを保つ、
などはつなげる力と整理の力の両方によるものかもも知れない。
あらゆるものをつなげて、
一個のゼリーにする必要はない。
全部が繋がっていない状態のほうが、
「人種のサラダボウル状態」になるので面白いときもある。
(かつてニューヨークは「人種のるつぼ(メルティングポット)」と呼ばれたが、
人種たちは混ざり合って仲良くするのでもなく、
それぞれにコミュニティをつくって交わることが少ないため、
サラダボウルになったそうだ)
それらを、
つなげる力と整理する力で、
編み上げていく。
必要なら切ってつなげていく。
そんな力が、僕は構成力だと思っている。
構成力を、三幕構成のような、
「ある時間にある出来事があるように調整する力」
だとは僕は思わないよ。
そんなのすぐにできるじゃんか。
もっと大事な構成というものがあると僕は思う。
「構成力がある」という時に、
人はバラバラのことを言っている可能性がある。
テンポがいいだけで構成力がある、って人もいるくらいだからね。
僕は、世界の構成力のような意味で使うことが多いね。
2024年11月21日
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