2024年11月27日

昇華

物語に出てきた思いは、すべて昇華するべき、
という話。


初期の頃からある思いがあるとしよう。
それは、おそらくラストに叶うだろう。
それは動機であり、目的になるからだ。

だから、初期の思いは、基本叶う。
それが物語だ。
だけど、簡単に叶ってはご都合主義だから、
あの手この手によって、なかなか叶わない、
というのが物語の面白さである。
(逆に、すぐに叶うのは、書き手が下手なのだ)

もう少しこの初期の思いを見ていくと、
具体的であればある方がよい。
「金持ちになりたい」
「有名になりたい」ではだめで、
「1億円欲しい」
「ユーチューバー1位取りたい」などの、
「それが叶ったかどうか確認できる形」であるべきだ。
「あの子が好き」ではだめで、
「あの子とキスする/付き合う」などであるべきだ。
なぜなら、
映画的というのは「叶った」を絵で示すからだ。
絵で示されない思いは、昇華されにくいということだ。

「何者かになりたい」とか、
「この思いをどうにかしたい」とかは、
叶えにくい思いである。
仮に、
「バスケで世界一になった」とか、
「早食いコンテストで一位を取った」
というエンドだとしても、
「何者かになりたい」とか「この思いをどうにかしたい」の解決かどうかは、
不明になってしまう。
だから、抽象的なものではなく、
具体的なものがよい。
もちろん、「何者かになりたい」という思いで始めて、第一ターニングポイントあたりに、
「バスケで世界一を取る」という、
具体に変換されれば、
エンドで具体的な絵で示すことが可能になるし、
「約束は果たされた」になるだろう。

つまり、
初期の思いとは、約束である。
登場人物たちが抱えている思いは、
作者が観客にする約束なのだ。
これは叶えますよ、という。

だから、「叶わなかった」というストーリーは、
約束を破られたような気分になるわけ。
バッドエンドを僕が勧めないのは、
裏切りがおもしろいならいいけど、
所詮裏切りのおもしろさなんて、
後ろ向きに過ぎないと思うからだ。

「百万円と苦虫女」のラストを見たことがあるだろうか。
これはバッドエンド作品なんだけど、
「それがリアルだから、主人公は幸せになれない」
と監督が判断してそうなったらしい。
いや、別にハッピーエンドでもええやん、
と当時僕は思っていた。
ただし、あのラストで単にハッピーエンドになるのは、
ご都合主義だな、と思った。
つまり、
思いを叶えるには安直すぎるハッピーエンドで、
それは「昇華しない」と思ったわけだ。
で、それが出来ないから、バッドエンドという、
「リアルな」エンドを選んだんだろうな、と当時思ったな。

つまり、「思いの昇華」には、
ある程度の説得力や満足度が必要だ。
安易に叶っては、現実と違い過ぎたりして、
単なる願望に見えるわけ。
フィクションは時にリアルを飛び越えてもよいのだが、
「思いの昇華」は一番リアリティが必要だと思う。

なぜなら、現実で思いを昇華している人は少ないからだ。
出来ないからこそ、フィクションの世界では、
疑似体験として思いを昇華したいんだね。
それがカタルシスになって、
見てよかったとなるのがフィクションの役目だ。
でもそれがご都合だったり、嘘くさい実現の仕方だったり、
他人によって叶えられるメアリースーだとしたら、
「詰らない(=昇華が鈍い)」となるわけだ。


で、
昇華するべきものは、思いだけだろうか?

たとえば、
「これはこうなるんだろうな」という観客の予感もある。
壁にかけた斧は使われる。(チェーホフ)
それが使われなかったら、
「あれは何やったんや、未消化」となるわけだね。

主人公が初期に恋した初期ヒロインと必ずくっつくのは、
そうした思いの昇華を考えた結果だ。
二番目以降に出てきたヒロインと途中でくっつくことはあるが、
ほとんどの場合ラストには初期ヒロインと幸せになるものだ。
それは、思いを昇華しているわけだ。
そうならないならば、それがあった意味がないからだ。

つまり、それがあるなら、それは意味があるのだ。
(小泉構文)


リライト時、
その思いがすべて昇華しているか、チェックしてみよう。
初期の部分は当然として、
途中で出てきた思いも、昇華しているだろうか?

たとえば主人公に協力してくれる味方がいるとして、
そいつの協力への思いは、
ラストにきちんと昇華されたと言えるだろうか?

物語では、昇華しない側の人もいる。
悪役だ。
悪役だけは、自分のつもりや計画や思いが、
昇華しない。
悪役だからね。
悪役が本懐を遂げてしまったら、悪役じゃなくなってしまう。

物語とは、悪役の思いを昇華させず、
主人公サイドの思いをすべて昇華させるようなもの、
という定義も可能だ。

だから、悪役の思いはわざと具体でなく抽象にしてしまうのも悪くない。
世界征服という、ゴールがよく分からない思いにすると、
必ず昇華できないよね。
悪の組織の目的は、達しない目的にわざとなっているのかもしれない。

悪役の目的が具体的、たとえば〇〇を殺すとか、
1億円稼ぐとかならば、
わりと阻止することは簡単になるかもしれない。
この時に、ストーリーは面白くなってくる可能性があるよね。
具体と具体が絡むわけだからね。


というわけで、
思いが未昇華のものは、粗悪品である。
どこで発生した思いも、
きちんと成仏させられているだろうか?
悪役だけは夢が叶わないようになっているだろうか?
そして、それらは、全部説得力があり、
納得の深くいくものであったろうか?
そうなっていれば、よきハッピーエンドである。

そうなっていないから、
変なビターエンドとかバッドエンドに、逃げたがるのではないか。

よくあるのは、現実で自分が叶えられていない思いを、
物語で昇華しようとする間違いである。
具体的に叶えたわけではないので、
叶えるならばご都合主義的な叶え方になるし、
叶え方が分らないならばバッドエンドになってしまう。
出来もしないことを書いてダメになることは多い。
(だから主人公は作者と異なる人物であるべきなのだ。
作者にはないスキルがあるから、
その思いを叶えられるわけで)
posted by おおおかとしひこ at 07:18| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

この記事へのトラックバック