どんなものでもそうだと思う。
自分が何かをうまくなりたかったら、
自分の言葉で言語化することだ。
スポーツや体を動かす技能は多分そうだ。
言葉を使わない分、
なりでやってしまって、流れてしまう。
それを言葉でとらえなおし、
整理しなおすと、
上達するのが速くなると思う。
それは、他人の言葉じゃなくて、
「自分の言葉」であることが大切だと思う。
他人の言葉でどれだけ説明されるよりも、
自分の言葉で、
「〇〇とは〇〇のことだったのだ!」
と分かるほうが、万倍効くと思う。
僕がこの脚本論を書いているのは、
つまりは、
自分なりの言語化のリストだったりする。
これを書くことで、
自分が分かったこと、
これはこうだと思ったことを、
どんどん記録して、吐き出している、
ということになる。
まあ、何もないよりかは誰かの役に立つだろう、
と思って公開しているが、
ほんとうに役に立つかは分からない。
なにせ、
結局上達するのは、
「あの時〇〇と言われたことって、
今自分の言葉でいうと、〇〇ってことか」と、
翻訳がうまくいかないと、
ステップを登れないと思うんだよね。
簡単なことならば、
他人の言葉通りにやればいいと思うけど、
難しいこと、再現不可能なことなどは、
自分の言葉に翻訳して、
「自分ができる」という範囲にしなければならないと思う。
なので、
いくら他人の言葉を守ってもしょうがなくて、
自分なりに体得する必要がある。
それを自分の言葉で整理しなおせたときに、
ようやく「自分のものになった」と言えるのではないだろうか。
なので、こんなブログを読んでいる暇があったら、
さっさと自分で書いて、
自分の言葉で整理しなおしたほうがいいのだ。
もちろん、
自分の知らない領域があるだろうから、
それは他人の言葉を入れて、
そういうものがある、と知っておくことは大事だけど、
それをやってもいないで、他人の言葉だけで判断するのは、
単なる童貞と同じだ。
自分がやってみたうえで、
「こういうことだぞ」と自分がわかることのほうが、
知識だけの人よりも上だと思う。
なぜなら、
脚本というのは、スポーツのように、
「体を動かすこと」に近いと僕は思うからだ。
自分の思うことだけを書いていては、
脚本は書けない。
あるルールというか法則に従って書かないと、
ストーリーにならない。
それは一体どのようなものなのかを、
言語化することが、
脚本論ということだ。
つまり、
究極的には、
あなたなりの脚本論が出来ないと、
脚本なんて一生書けないんだよね。
2024年12月05日
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