2024年12月10日

名前を与えると、人格は分裂しやすい

ストーリーをざっくり考えているときは、
まだ自分の人格は一個である。

そのうち分裂させなければならない。
そのときに、名前を与えるといいよ、
という話。


構想段階では、
「主人公から見たストーリー」をつくっているはずだ。
私と世界、私と事件、のような感じだ。
これはまだ一人称の世界であろう。

映画は三人称であるから、
三人称として、外に出さないといけない。
そして、三人称であるから、
他者とのコンフリクトや協力などの絡みがあって、
はじめて三人称になる。

このとき、作者自身の人格を分裂させるような感覚がある。
自分の人格の中の、
主人公らしき人格と、
その他、ライバルらしき人格と、
ヒロインらしき人格と、主人公のアシスト的な人格と……、
などのようにだ。

こういう人物がいて、こういう展開で……
などと構想するときはまあ良い。
しかし、
もっと細かく考えるには、
「名前をつける」といいよ、
という話。

「主人公の友人」というよりも、
「谷口」という具体的な名前があったほうが、
「谷口はどう思う?」なんて脳内で聞きやすいからだね。
つまり、他者になっているわけ。

主人公の名前がない状態では、
まだ自我と分離すらしていないんじゃないかなあ。
「もし自分がそのシチュエーションになったら」
と考えるのは物語の妄想の源泉であるが、
まだ「自分」になってて、
「他者」になっていないんじゃないかな。

主人公にも名前を与えよう。
山田太郎でもいいし、ファナティックルシアでもよい。
もっとふつうに、川田隆二とか原口翔太でもよい。
そのストーリーにふさわしい名前を創作しよう。

そして、川田はどう思う?
友人の谷口はどうする?
なんて風に、
自分にではなく、他人に聞くようにしていくとよいだろう。
「この時谷口は裏切るつもりであったのだ」
などと考えることはたやすいが、
「この時友人Aは裏切るつもりだったのだ」
を考えることは結構難しい。
Aはまだもわもわしてよくわからない状態にいるからね。

自分の分身をつくり、
自分から切り離して自由に動かせる人格にするには、
はっきりした名前を与えるのが、
一番手っ取り早いと思う。


あとで変えてもよいのだ。
まずはひとつ名前を与えて、
固定した何かにしてしまえ。

「伝説の最強武器」ではなくて、
エクスカリバーと名前をつけてしまえ。
「主人公の済む都市」ではなくて、
大田区蒲田と名前のつくものにしてしまえ。

そうしたら、
イメージはその名前によって、
どんどん具体的になってゆく。

活躍や役割にふさわしくないなら、
名前を変えればいいだけのこと。
伊集院と大げさな名前をつけたが、
大した事をしないなら田中でよい。
「ひろこ」とヒロインの名前をつける場合と、
「睦美」とつける場合と、
「もも」ではだいぶ違うだろう。
そんな風にして、
分霊のディテールを少しづつ明快にしてゆくのだ。

そろそろ命名のタイミングだな、
と思ったら、
名前事典を引いたり、ネットを徘徊したり、
資料探しをして何かいい名前を拾ってこよう。
名前を考えるだけで一週間くらいかかってもよい。
ドラクエだって主人公の名前を決めるのに手間取ったよね。
それの再現である。


自分の名前でなくて、
他人の名前をつけることはたいへん難しい。

その時点で、自分ではない、
と自覚していくのだ。
他人だから、いくらでも不幸にできるし、
他人だから、自分にない力で困難を突破することが出来るからね。
posted by おおおかとしひこ at 07:34| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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