あなたがストーリーの種を思いつき、
色々転がしている段階だとしよう。
話をどこから始めるのか、考えるのはよいことだ。
仮に「ダイエット」の話をつくるとしよう。
どこから始める?
ダイエットを覚悟したところか。
その前の体重が重すぎると知ったところか。
最近太ってきたなあと思ったところか。
鏡を見て気になったところか。
ダイエットに必要な何かを買って、後戻りできなくなったところだろうか?
どこででもあり得る。
あるいは、もっと前から始めても良い。
デブが嫌いなところか。
もっと前の、そもそもデブが嫌いになった事件からか。
あるいは、後半から始めてもよい。
最初に効果が出たところ。
誰かに「痩せた?」といわれたところ。
Twitterにあげて、承認欲求が満たされたところ。
目標体重を達成したところ。
さらにリバウンドしてしまったところ。
どこから始めても、語ること自体は可能だ。
じゃあ、どこから始めべきか? どこで終わるべきか?
テーマと関係している。
たとえば、デブに忌避感があるとしよう。
デブは人間失格であり、自分がそうなるのは認めない、
という強迫観念があって、ダイエットを決意するという物語だとしよう。
そうすると、その強迫観念がテーマにかかわって来るわけだ。
親がデブで、人を育てるのが下手な人で、
人間として尊敬できなかったから、だとすれば、
このダイエット物語は、親との和解や、
偏見をただすことがテーマになり得るよね。
ということは、その終わりは親との対面や、
親もダイエットする、みたいなことになるんじゃないか。
つまり、これだけいろいろな時間軸の、
どこからどこまでを切り取るかで、
テーマは変わり得る、ということだ。
承認欲求がテーマになるなら、
フォロワー数を確認しているところからスタートするかもしれないよね。
ビフォーとアフターでテーマを示すならば、
変化前と変化後が分りやすくなるところで始まり、
終わるべきなわけ。
逆にいえば、
始まり方と終わり方がテーマを決める、
とも言えようか。
100%そうだとは言えないが、大体それに近いことになると思うよ。
時間軸を切り取り、
2時間の食べやすい大きさに整えるのが映画脚本というものだ。
どこからどこまでを描き、
そこ以前と以後は切るかを決めることが、
初期のうちに考えるべきことじゃないかと思った。
どこから始める?
どこからでもできる。
どこで終わる?
どこからでもできる。
任意のところでスタートエンドすれば、
それは単なるドキュメントになるかもしれない。
しかし、
狙いのところから初めて、
狙いのところで終わると、
それは狙われた話ということになる。
つまり、何を狙うかで、
どこから始まり、終わるかが決まるわけだ。
2024年12月14日
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