2024年12月14日

どこから話を始めるのか

あなたがストーリーの種を思いつき、
色々転がしている段階だとしよう。
話をどこから始めるのか、考えるのはよいことだ。


仮に「ダイエット」の話をつくるとしよう。
どこから始める?

ダイエットを覚悟したところか。
その前の体重が重すぎると知ったところか。
最近太ってきたなあと思ったところか。
鏡を見て気になったところか。
ダイエットに必要な何かを買って、後戻りできなくなったところだろうか?

どこででもあり得る。

あるいは、もっと前から始めても良い。
デブが嫌いなところか。
もっと前の、そもそもデブが嫌いになった事件からか。

あるいは、後半から始めてもよい。
最初に効果が出たところ。
誰かに「痩せた?」といわれたところ。
Twitterにあげて、承認欲求が満たされたところ。
目標体重を達成したところ。
さらにリバウンドしてしまったところ。

どこから始めても、語ること自体は可能だ。
じゃあ、どこから始めべきか? どこで終わるべきか?

テーマと関係している。

たとえば、デブに忌避感があるとしよう。
デブは人間失格であり、自分がそうなるのは認めない、
という強迫観念があって、ダイエットを決意するという物語だとしよう。
そうすると、その強迫観念がテーマにかかわって来るわけだ。
親がデブで、人を育てるのが下手な人で、
人間として尊敬できなかったから、だとすれば、
このダイエット物語は、親との和解や、
偏見をただすことがテーマになり得るよね。

ということは、その終わりは親との対面や、
親もダイエットする、みたいなことになるんじゃないか。


つまり、これだけいろいろな時間軸の、
どこからどこまでを切り取るかで、
テーマは変わり得る、ということだ。
承認欲求がテーマになるなら、
フォロワー数を確認しているところからスタートするかもしれないよね。

ビフォーとアフターでテーマを示すならば、
変化前と変化後が分りやすくなるところで始まり、
終わるべきなわけ。

逆にいえば、
始まり方と終わり方がテーマを決める、
とも言えようか。
100%そうだとは言えないが、大体それに近いことになると思うよ。


時間軸を切り取り、
2時間の食べやすい大きさに整えるのが映画脚本というものだ。
どこからどこまでを描き、
そこ以前と以後は切るかを決めることが、
初期のうちに考えるべきことじゃないかと思った。


どこから始める?
どこからでもできる。
どこで終わる?
どこからでもできる。

任意のところでスタートエンドすれば、
それは単なるドキュメントになるかもしれない。
しかし、
狙いのところから初めて、
狙いのところで終わると、
それは狙われた話ということになる。

つまり、何を狙うかで、
どこから始まり、終わるかが決まるわけだ。
posted by おおおかとしひこ at 07:47| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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