萩尾望都の「半神」が無料公開中
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なので、その話が出回っている。
なんでも漫画家の間では、
フェルマーの最終定理扱いされてるそうな。
「たった16Pにあの物語が入るのか?」
という点に評価が集まっているそう。
いや、全然可能でしょ、
と僕は思った。
解説を書く。
オリジナルの半神は、
一人称形をしている。
ユージーの方から見た話である。
美しい妹ユーシーには意思がなく、
人間以前の何かだから、
この一人称の中では人間はユージーのみだ。
周りの親や大人たち、医者も含めて、
「環境キャラクター」のように描かれている。
つまり、
徹底したユージーの一人がたりの話である。
「これを16Pに収められるのか?」
と考える現役の漫画家たちは、
三人称形を想定しているのではないか?
ユージー以外の人々、
親、医者、周りの大人たち、
そしてユーシー自身を、
三人称で描き、
コンフリクトをつくり、
その相剋としての手術というクライマックスを、
描こうとしてしまうのでは?
だから16Pじゃ無理と思うのだろう。
ところが一人称だから、
「自分の話」しかないのよね。
だから16Pに収まるんだよな。
登場人物の数だけストーリーラインがある。
それぞれに問題を抱えていて、
それぞれが終わることで物語が終わる。
三人称形の話は、そのようなものである。
n人登場するならば、
最大n!通りのサブプロットの絡みがあり得るため、
物語は複雑極まりなくなる。
(大抵はグループ分けされて、整理される。
昨日のハンターハンターはまさにそこが整理されてない、
という批判であった)
ところがこの話は徹底した一人称だ。
1!=1だ。
だから複雑なプロットラインにならないのだ。
むしろ濃厚な一本のラインが16Pも続くのだ。
読み切りってふつう31Pだっけ、19Pだっけ。
二人以上出る三人称形式の、
一人当たりのP数よりも、
一人しかいない16Pのほうが、
断然濃いわけだね。
だから「半神」は、16Pとして成立している。
仮にこの物語を三人称形式で書いてしまったら、
ユーシーを描いてしまうに違いない。
何か人格を持ち、最後に恨みの言葉を吐くとか、
手術に不安な話をするとか、
あるいは逆に天使のような言葉で死ぬとか、
もっと濃い絡みがありえるだろう。
親の葛藤、医師の物語もありえる。
周囲の人々はまあリアクション係なので、
そんなには変わらないかもだ。
そういう膨らましをやると、
16Pでは収まらず、19Pでも無理で、
31Pとかになっちゃうだろうね。
それを前提にすると「16Pでどうやって収めるの?」
になるんじゃないか。
「少女漫画は一人称である」
という話を以前にした。
「セクシー田中さん」のときだ。
正確にいうと、
「三人称のふりをした一人称形式」こそが、
少女漫画の形式なんじゃないかな、と思っている。
(逆に「解説のナレーション」が徹底的に入る少年漫画、
たとえば刃牙なんかは、三人称の極みだ)
一人称だから16Pで十分。
それが萩尾望都の答えだろう。
フェルマーの最終定理の方が何百倍もムズイわ。
双子の憎悪というのはかなり斬新だけど、
自分への愛憎を考えればそう難しくない。
「繋がった双子」でそれをやったのが、
素晴らしい着眼点なわけだね。
ここがコロンブスの卵だ。
2024年09月01日
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今市子さんは、ポーの一族の「グレンスミスの日記」というマンガが70頁くらいだと思い込んでいたけれど、ある日、数えてみると僅か24頁しかなかったことからの話です。今市子さんは、これを24頁にはとても書けないことから、24頁が怖くなったそうです。
グレンスミスの日記も一人の登場人物のモノローグですね。もう一度読み返してみます。
へえそんな逸話が。
おそらく「日記」というくらいだから一人称ではないかと。
一回しか読んでないので記憶にないですねー…
これを機に萩尾望都を読み返そうかと調べたら、
「ポーの一族」の続編が令和に出てることを知ってしまった…
あと「ネオ寄生獣」の中のアンソロジー「由良の門を」が出来がいいらしいです。
(kindle版のみ)
>「グレンスミスの日記」も
>ある家族の100年の歴史を描く大河ドラマですが
>わずか24ページ! 信じられん
>
>しかもそれが「ポーの一族」という
>さらに壮大なサーガの1ピースとして機能している
>ことに戦慄します
当時、ポーの一族は読むのに随分と時間が掛かった覚えがあります。やたらとコマとコマの繋ぎが濃密なので。