そもそも新配列というのは、
ブラインドタッチ前提の使用を議論している。
qwerty糞とか言ってるのは、
ブラインドタッチを前提にした時の話だ。
まず配列を議論する前に、
ブラインドタッチのメリットを考えよう。
キーボードを見ながら打てる速さの限界はどのへんかな?
600字(変換後)/10分くらいかしら。
あるいは、何時間書けるかな?
一時間集中するくらいは出来るかもだけど、
その先はしんどいと思う。(経験則)
僕は薙刀式をブラインドタッチすることで、
1500くらいのペースで10〜20分は書けるし、
1000くらいのペースで一時間書けるし、
数時間椅子に座って1万5000字くらい書くことがある。
おそらくキーボードを見ながら(サイトメソッド)、
このペースで打てる人はいるまい。
仮に気合を入れて一日その作業をしたとしても、
次の日も同じことは出来ないだろう。
僕はqwertyサイトメソッドだった頃、
一日6000字をコピー打鍵(清書)するのが精一杯で、
次の日も同じことをするのは無理、
という感じだった。
今のコピー打鍵だと、
4万字の映画脚本一本を、
2日でコピー打鍵して疲れないくらいになっている。
3倍以上の作業効率になってるわけ。
何が違うのか?
目線の移動だ。
画面をずっと見て、誤変換だけチェックしてる状態になれる。
清書といえど一度書いた原稿だから、
言葉遣いの細かい所以外は大体頭に入ってるから、
基本画面を見てるね。
創作文ならなおさらで、
画面だけ見てればいいわけさ。
これがサイトメソッドだと、
手元のキーボードと画面を、
行ったり来たりしなければならない。
その度に首と肩を使う。
距離も変わるから、焦点を合わせ直す目の筋肉もだ。
この蓄積が半端ないことは、
ブラインドタッチを知らない時は分からないのが問題だ。
「こういうもの」だと思ってるわけ。
これが無駄な疲労であることは、
ブラインドタッチを習得したあとでないと理解できない。
「バカだろあの手間」と、
誰もが感じるであろう。
ブラインドタッチは、
一種のライフハックである。
なんせ30%くらいしか使えないのだ。
残り70%の人たちは、大変だ大変だと言いながら、
肩が凝り目がしょぼしょぼしてるわけ。
あるいは、文章そのものを書かないか。
ライフハックをしてる人が、
そうでない人にメリットを語ったとしても、
信じてもらえないに違いない。
なにせ問題は疲労である。
客観的測定ができないものだからだ。
だから最初に述べたように、
速度という具体的数値でアピールするしかない。
しかし速度でアピールすると、
「そんなに速くなりたいわけではない」と、
尻込みする人は多い。
文章ガチ勢ではないし、と遠慮するんだね。
そうじゃない。本命は疲労である。
手間がかかってるから疲労するのだ。
それは無駄な動作なのだ。
人間もバカではないから、
何度も何度もやると、動線が整理されてきて、
無駄な動きが減ってくる。
大体のキーの位置もなんとなくわかるから、
キーボードを凝視しなくても、
ながら運転みたいなことが出来るようになってくる。
それが、中途半端な現代のビジネスマンといった所だろうか。
正式にブラインドタッチを習い、
マスターするには、
二週間から一ヶ月程度の鍛錬が必要だ。
これがめんどくさいがゆえに、
「そこまで困ってないし」と、
言い訳をしてしまうのが現在地点じゃないかなあ。
一念発起が必要だ。
手を抜いてブラインドタッチをマスターすることは出来ない。
苦手な左手を扱うのは鍛錬がいる。
楽器の経験がない人はかなり苦痛だと思う。
僕はとても苦痛だった。
楽器はいいよね。出来ないと弾けないからね。
キーボードはブラインドタッチできないと打てないわけではないため、
安易な方法(そして無駄で疲れる方法)に、
甘んじてしまうわけだね。
その苦痛を超えられるのは、
モチベしかないと思う。
メリットだけじゃ足りないと思う。
僕は小説を書きたいし、脚本を書きたいという、
人生を賭けた猛烈なモチベがあった。
だから「qwertyのブラインドタッチはベストじゃない」
ことに二秒で気づいてしまったのだ。
qwertyのブラインドタッチはベストではないが、
サイトメソッドよりベターであろう。
まずはキーボードと仲良くなる手段として、
30キー範囲のブラインドタッチを出来るようになるのはいいことだ。
109キー全部は求めていない。
片手5キー×上中下段×左右の30キーに、
指が動けば良い。
そうしたら、その範囲で効率の悪いqwertyのクソさに気づくことが出来て、
薙刀式ほかの新配列の「効率」というものに、
興味が湧くと思う。
109キーボードは、
人類のたどり着いた至高のキーボードではない。
qwertyローマ字は、
人類のたどり着いた至高の日本語入力方式ではない。
サイトメソッドは、
人類のたどり着いた至高の文字の書き方ではない。
30キーのブラインドタッチは、
これらをかなりマシにする方法だ。
その後、
人類のたどり着いた至高のものたち、
左右分割格子配列36キーの自作キーボードや、
薙刀式にたどり着けばよい。
ブラインドタッチは、
習字で言えば永字六法にあたるほどの基本である。
ここからたくさんの字を書けるための単なる基礎だ。
そのハードルが高すぎることが問題だと思うのだが、
まあそれはしょうがない。
あるものでなんとかするしかない。
というわけで、
ブラインドタッチを学ぼう。
一ヶ月後、三ヶ月後、
肩や首の疲れが軽減して、
たくさん速く書けている自分に気づくだろう。
そして同時に、「qwertyローマ字はベストの書字法ではない」
ことに気づくだろう。
気づかないならよほどのバカか、
指がクソ強かったかのどちらかだ。
その時に、
あらためて新配列を探せば良い。
qwertyローマ字のクソぶりが問題にならないのは、
サイトメソッドによる、
「これはこういうもの」だという先入観によると思う。
これはこういうものではない。
ごまんとこれを凌駕する方法がある。
なぜqwertyに誰も文句を言わないのか?
僕はもっと問題になっていいと思う。
問題に気づいてないからだというのが第一の仮説、
気づいても自分で何も出来ないからというのが第二の仮説。
第二のハードルは、
自作配列、自作キーボードやればいいじゃない、
と勧めておく。
そこまで苦労したくないなら、
既存の新配列を使うのが早い。
第一のハードルは、
ブラインドタッチをマスターして初めて分かることだと思う。
つまり、日本人はまだ問題に気づいてさえいない。
フワちゃんよりはるかに大問題だろ。
2024年09月01日
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