昨日「ポーの一族」の続編を二巻読んで興奮してたんだけど、
ふとウイングマン実写化のニュースと比べてしまう。
なんという志の差か。
一方は、
「なるべくおもしろいものを」と、
無限に知恵を絞った、
編み物のように編み込んだ、
緻密なプロットと生々しい生と死。
そこに炙り出される人間の本質や業のようなもの。
実写化とか何も考えてない。
100年近くにわたるヨーロッパが舞台で、
日本人は一人も出てこない。
絶世の美しい子供が二人と、
成人が一人出てくる。
この世にいない、概念みたいな存在。
オリジナルであろうとする面白さを、
極めた方向の到達点だ。
他方を見よ。
オリジナルを極めるのではなく、
かつて極めたものをアレンジするという、
安易な企画。
もちろん、CGなどがウイングマンに追いついたから、
できることかもしれないが、
オリジナルから40年もかかったのかよ、
と実写畑の人間としては心苦しい。
そもそも、
オリジナルドラマができないのは、
どんな企画を出しても通りにくく、
「かつて流行ったやつの実写化」
の企画の方が通りやすいからだ。
実のところ詰まらない企画しか出せないのかも知れないし、
せっかくの面白い企画を読めない、
スポンサーサイドにも問題があるかも知れない。
(僕らはよくわからないので専門家にお任せします、
なんてことを稀によく聞く。
いや、ちゃんと企画を把握して、
脚本を読み込んで、
歴史的な立ち位置を考えて、
今流行るかどうかを議論しようよ)
そんなぬるい状況では、
安牌の実写化が通るわけさ。
もちろん、ヌルい実写化ばかりで期待値がダダ下がりだから、
そこに原作者をがっつり入れたプロデュースサイドは、
いい読みをしている。
でもアオイの衣装がラムちゃんばりにならないなら、
ウイングマンをやる意味はないとすら僕は思う。
コンプライアンスなんて知るか。
コンプライアンスを守らないといけないなら、
ウイングマンはテレビでやるべき素材じゃない。
なんでドラマ枠を維持しなければならないか。
それで食ってるスタッフを食わせる為だ。
じゃあウイングマンつくりません、
この枠は1クール空白です、
ってなったら、100人かそれ以上が失業するのよね。
それを回転させ続けるために、
毎回毎回ドラマは作らないといけない。
もうその自転車操業も限界で、
新しい企画は通らないし、
通った実写化はめちゃくちゃだし、
一体何がしたくてそれをやってるのかわからないよ。
「おもしろいものを見せたいから」
じゃない、邪な動機なんだよね。
ウイングマンの実写化で、
ストーリーが宣伝されてないのよ。
「もし書いたものがなんでも叶う夢のノートがあったら?
そこに、ヒーローになりたい男がヒーローの絵を描いたら?」
がなぜ宣伝されないのか?
その枠組みが少し古いからだ。
じゃあ、今なりの面白さにアレンジしなきゃいけないんだけど、
それが宣伝されないのがとても気になる。
青春の名作という枠しか見せてなくて、
中身を見せたいんだという強い思いがないんだね。
それに比べて、
ポーの一族の、純粋に、
人間の業を見せたいという強い思いよ。
そこに収束するためにすべての仕掛けを用意する、
計画的反抗よ。その手際のすばらしさよ。
どっちがおもしろいか、
火を見るより明らかである。
たった一人の天才と、
いい大人が100人がかりでつくるもの。
僕は後者の方が良いものができると信じて、
映像業界に身を投じているが、
ここ10年くらい、
よってたかって下らないものを魔誕生させる現場に、
もうだいぶ疲れている。
お前らポーの一族読めよ。
負けてるぞ。
恥ずかしくないのかよ。
どうやったらRRRを越えられるか?
を、朝まで飲んで議論してるやつ、
どこにいるんだよ。混ぜてくれよ。
自分たちの周りで「ポーの一族」並のオリジナルが生まれてないことが、
本気で悔しいんだよ。
2024年09月04日
この記事へのコメント
コメントを書く
この記事へのトラックバック