2024年09月10日

今月の「芸術新潮」の萩尾望都スケッチ集が資料価値高い

ぶらりと本屋に立ち寄ったらすごかったので、
立ち読みで堪能してしまった。

創作論に興味のある人、
どこからお話は立ち上がるのかを知りたい人は、
参考資料として買うといいよ。


創作過程の全貌を見てみないと断言できないけど、
これは明らかに、
「キャラクターという絵で依代をつくり、
彼のいいそうなことを言わせることで肉付けして、
その複数のキャラクターの絡みを考えて、
ストーリーという大河に放り込む」
というやり方だと考えられる。

それよりも先にざっくりストーリーがあり、
次にこのスケッチに進むのか、
先にスケッチからはじめて、
次にストーリーの箱書きをしていくのかは、
キャラクタースケッチ群ばかりなので、
不明だ。


スケッチだから「まだいかようにも変えられる」
状態なのがミソで、
造形が進めばまた変える前提なのだろう。
こうして行きつ戻りつしながらディテールを詰めていくうちに、
だいたい出来上がるタイプなんだろうと思う。

ひとつSF用か、
太陽の時間や季節を詳細にメモしていたものがあった。
矛盾が起こらないようの確認のものだろう。
やってることは同じだなーと安心しちゃうね。

もし、
このやり方を知らないのなら、真似してみるといい。
よくこのやり方をやる僕は、
まあこんなもんだよねと感じて、
むしろ親近感が湧いたくらいだね。

創作には色んなやり方がある。
他人のこうした台所は、色々見たいよね。




以下雑談。

どこかのメモに、
「女から生まれる苦痛」というのがあって、
今回のBL論を補強する証拠だなーと感じた。
女として生きることが、嫌なんだろうな。
じゃあ男として生きてみたいわけではなくて、
多分だけど、「少女の状態で生きていたい」
んじゃないかと思う。

最近のクソフェミの中にはそうした願望がチラ見えすることが多く、
わがままは創作の中だけにしておけと言いたくなるね。

逆に、「創作の中の(ファンタジーの)少年は自由」
と決まったのはいつでどのへんなんだろう?
僕は、それらを女たちが少年に投影してくるのが、
すごく嫌だったのね。
聖闘士星矢あたりから、そういう嫌な視線をずっと感じてて、
俺たちは当事者として楽しめなくなったんだよね。
きっとこの「絡みつく視線」を、
女たちは成長するにつれて向けられ続けるんだろうなあ。
posted by おおおかとしひこ at 14:20| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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